KNPC172 盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)

かぶきねこづくし

描かれている人物

枠左:薩摩源五兵衛
枠右:小万、三五郎
下:(左から)船頭笹野屋三五郎、芸者妲妃の小万、薩摩源五兵衛

絵の解説

夜更けの佃の沖。
深川芸者の小万と船頭の三五郎は、源五兵衛から金を絞りとる相談をしています。
月が出て、あたりを照らすと、後ろの屋敷船には薩摩源五兵衛。
驚いて立ち上がる小万。
佃沖新地鼻(つくだおきしんちはな)の場

佃沖新地鼻(つくだおきしんちはな)の場(原画)

小万の「五大力」の彫り物に「三」の字を加え、さらに細工をして「三五大切」と変え悦に入る三五郎。五人切りの場。

小万、三五郎(原画)

窓を破って押し入る源五兵衛。五人切りの場。

源五兵衛(修正前)

源五兵衛(修正後)

あらすじ

鶴屋南北 作

主な登場人物と簡単な説明

・薩摩源五兵衛 実は 不破数右衛門(さつまげんごべえ じつは ふわかずえもん)
実は塩冶浪士の不破数右衛門(ふわかずえもん)。
小万に入れ上げている。
仇討ちに加わるため、偽名を使って御用金の金策に奔走。
伯父の富森助右衛門が用意した残りの百両を、三五郎と小万に騙し取られる。

・笹野屋三五郎(ささのやさんごろう)
深川の船宿笹野屋をいとなむ船頭。
父親から旧主のため百両を調達できたら勘当を許すと言われ、金策に奔走している。

・妲妃の小万(だっきのこまん)
深川の人気芸者。
夫の金策のため芸者になり、自分に惚れている源五兵衛を金づるにしている。
金づるとしてしっかり確保するため、源五兵衛のために「五大力」の刺青を腕に入れている。

*五大力(ごだいりき)
五大力菩薩の信仰から転じた願掛け。
女性が身のまわりの物に五大力と書き、好いた男性への貞操の証しとする行為。

他、大勢いますが省略します。

あらすじ

仇討ちに参加するため御用金の金策をする浪人の源五兵衛。
源五兵衛の伯父の富森助右衛門が仇討ちのためにと浪宅へ百両を届けにきます。
それを知った三五郎と小万は仲間と謀り、百両で小万を身請けさせます。
源五兵衛が小万を連れて帰ろうとすると、三五郎が亭主であると名乗って阻みます。
騙されたと知った源五兵衛は怒りをこらえ「人ではないわえ」と吐き捨てて帰って行きました。

三五郎たちは源五兵衛の復讐を恐れ、仲間の家に集まります。
三五郎は小万の腕の彫り物を「五大力」から「三五大切(さんごたいせつ)」に彫り変えました。
寝静まった頃、刀を手にした源五兵衛が丸窓を斬り破って忍び込んできます。
怒りの形相とともに、家にいる者たちを無言で斬りつける源五兵衛。
三五郎と小万は命からがら逃げ出しました。

四谷鬼横町の長屋へ引っ越してきた三五郎と小万。
そこはお岩が殺された家でした。
三五郎は、源五兵衛から奪い取った百両の金を父親に渡し、勘当を許してもらいます。
源五兵衛が訪ねて来て、引っ越し祝いの酒を置いてしずかに去ります。
しかし、その酒には毒が入っていました。
用心のため三五郎は樽に隠れて父徳右衛門の寺へと運ばれます。

小万が一人になったところへ、源五兵衛が戻ってきました。
源五兵衛は小万の腕をまくるとそこには、「三五大切」の文字が。
逆上した源五兵衛は小万を殺し、首を抱えて雨の中悠々と帰って行くのでした。

源五兵衛は隠れ家の愛染院の庵室に戻り、小万の首を見つめながら食事をします。
源五兵衛は、三五郎の父・了心の主筋にあたり、御用金を騙し取られたの仇討ちに参加できない以上は自害する旨を了心に伝えます。
その話を酒樽の中で聞いていた三五郎。
父親の主人のための百両を、その主人から奪ってしまったことを悟り、切腹して自害します。
五兵衛は塩冶浪士・不破数右衛門という実名に戻り、義士の仲間とともに討入に出立するのでした。

私のツボ

炸裂する狂気、歌舞伎ならではの悪の美

カードにしたのは主に前半で、後半はぶっ飛び過ぎていて絵にできませんでした。
懐に小万の首をいれ、傘をさして微笑みながら帰るところ。
そこまで小万に惚れていたのかと、切なくなります。
とても美しく悲しい場面ですが、絵にするとどうもつまらなくなります。
直截的すぎて、絵に余韻を持たせにくいです。
この狂気と紙一重の美しさは歌舞伎の舞台の上で目の当たりにし、網膜に焼き付けるべき瞬間だと思います。

同じく、小万の首を前に食事をし、生首にご飯を食べさせる場面。
俳優が自分の首を出す本首(ほんくび)の演出です。
生首の隣で食事する光景もかなりシュールですが、小万が目をかっと見開き、口をぱくっと開けます。
ここも絵にすると滑稽になってしまいます。
舞台でも滑稽で客席から笑い声が出ることもあります。
が、そこはやはり生身の人間が演じる舞台なので、滑稽さの奥にある狂気の哀しさと恐ろしさ、源五兵衛の純真さに切なくなり、笑い声もすぐに消えて静まり返ります。

好きな作品なので、嵐の前の静けさを絵にしました。

ポップな怪奇現象

三五郎夫婦が引っ越したのは、お岩さんが殺された長屋で幽霊が出るという噂があります。
お岩さんが亡くなった長屋は、伊藤喜兵衛と孫娘お梅、小仏小平の殺害現場でもありますから、幽霊が出ても不思議はありません。
この長屋の大家は小万の兄の弥助です。
実は弥助が幽霊に扮して住人を怖がらせ、追い出して新しい住人を住まわせ、祝儀の樽代をせしめようという魂胆でした。
結局、弥助は源五兵衛が持参した毒入りの酒を飲んで命を落としてしまいます。

「四谷怪談」ネタを差し込むのは、作者ならではの特権ですが、幽霊をダシにして荒稼ぎするという設定はなんとも罰当たりというか、現代的なセンスです。
もっと心霊現象や祟りには敏感だった時代だと思うのですが、その辺は南北はドライだと感じます。

その怪奇現象やら祟りやら独特の演出とハイスピードな展開に圧倒されますが、その合間にちらほら覗く、人間の弱さや脆さ。
この南北のバランス感覚が私は大好きです。

「色にふけったばっかりに」

不破数右衛門は、「仮名手本忠臣蔵」の「六段目」で勘平の家に千崎弥五郎と訪れ、仇討ちの連判状に勘平を加え、その死を看取ります。
腹を切った勘平の述懐に出てくる名台詞、「色にふけったばっかりに」。

勘平の悲劇を目の当たりにしたであろうに、数右衛門も色に溺れるとは。
勝手に南北が仮名手本忠臣蔵の登場人物を引っ張ってきただけなので、数右衛門にしてみたらとんだ濡れ衣です。
”討ち入りまでの長い月日に耐えかねて脱落する塩谷浪士”という設定は南北の作品によく出てきます。
南北の、塩谷浪士(世にいう赤穂浪士)への、ひいては武士階級ないし封建制度への批判だ、という解釈があります。
小万や三五郎ら町人は殺され、彼らを殺した数右衛門はその罪を問われることなく悲願の討ち入りに参加した。
江戸時代、歌舞伎は町人層ですから、歪んだ封建社会の現実を炙り出す南北の反骨精神、という論理です。

それも一理あるのかもしれませんが、歌舞伎によくある”実は”を効果的に使ったのではないかなと私は思います。
時代物なら、実は平家だった、というのは効果的ですが、世話物だとなかなか意外性が出しにくい。
塩谷浪士は、南北にとっての”曽我兄弟”のような位置づけではないかと私は思っています。

修正箇所

源五兵衛を演じる俳優さんによって演出が異なります。
何度か見ていますが、印象に残っているのは丸窓を破って登場する源五兵衛。
勢いをつけてドーンと破るのではなく、無言でバリバリと破り出てきて恐ろしかったのを覚えています。
他に、静かに丸窓を開ける演出もありました。
ほっかむりの色もグレーと黒があるので、どちらも用意して提出したところ、二枚のミックスになりました。

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