描かれている人物
KNPC38:大星由良之助
KNPC41:(左から)竹森喜多八、小林平八郎、塩谷浪士(公演によって名前が異なる)
絵の解説
「高家表門討入」
討ち入りの由良之助。
お馴染みの雁木模様の衣装。
「高家奥庭泉水」
師直邸の庭での立ち回り。小林平八郎は師直の家臣。
女物の着付を被って逃れようとしたところを竹森喜多八に見咎められる。
あらすじ
「仮名手本忠臣蔵」十一段目「討ち入り」
主な登場人物と簡単な説明
・大星由良之助(おおほしゆらのすけ)
塩谷家の元家老。
主君の宿敵である高師直への仇討ちを秘密裏に計画してきた。
・大星力弥(おおほしりきや)
由良之助の息子。
・高師直(こうのもろなお)
塩谷判官の宿敵。
討ち入られたと知って庭の炭小屋に寝巻き姿のまま隠れていた。
他、服部逸郎(桃井若狭之助の場合もある)、塩谷浪士たち、茶道春斎、和久半太夫などがいます。
あらすじ
「高家表門討入」
12月14日。高師直邸の門前に塩谷浪士47人が集結し、一人一人名乗りをあげた。
由良之助が陣太鼓を打つと、浪士たちは屋敷内に突入するのだった。
「高家奥庭泉水」
高家の腰元たちは逃げまどい、師直の家臣たちが浪士を迎え撃つ。
庭の池近くでは、浪士・竹森喜多八は高家の侍・小林平八郎と激しく立ち回る。
「炭小屋本懐焼香」
ついに炭小屋(柴小屋の場合もある)に隠れていた寝巻き姿の師直を見つける。
由良之助は判官形見の短刀で、師直の首をとる。
ーー以下、省略される場合がありますーー
由良之助に塩谷判官の位牌を懐から取り出し、敵の首を手向け、浪士たちは順番に焼香をすることに。
「まず総大将なればご自分様より」と、一番目の焼香を勧められた由良之助は、高師直を発見した矢間重太郎に譲る。
二番目の焼香をすすめられた由良之助は、「イヤまだ他に焼香の致してあり」と、懐から勘平の縞財布を出して早野勘平を指名する。
勘平の代わりに、勘平の義兄にあたる寺岡平右衛門に焼香させる。
ーー以上、省略される場合がありますーー
「両国橋引揚」
目的を達成した浪士たちは勝鬨をあげ、両国橋を渡って主君が眠る泉岳寺へと向かう。
そこへ営中守護の旗本・服部逸郎(桃井若狭之助の場合もある)が馬に乗って通りかかり、由良之助たちに声をかける。
仔細を聞いた服部は本懐を遂げた浪士たちを讃え、一行に通行を許す。
花道を引き上げていく浪士たちを場上から見守る服部。
幕
*十一段目の演出は公演によって変わることがあります
私のツボ
アッパレじゃ
省略されることの多い焼香ですが、好きな場面です。
「これぞ忠臣二番目の焼香、早野勘平がなれの果て、金戻したは由良之助が一生の誤り、不憫な最期遂げさせしと、今宵夜討も財布と同道」
と由良之助が言い、「妹婿に代わって焼香いたせ」と平右衛門を呼びます。
六段目の勘平、おかやの小さな背中、七段目のおかるが思い出され、つい涙が出てしまう場面。
儚く散った勘平もこれで報われることでしょう。
そうはいっても十一段目は公演によって演出が変わるので、討ち入りといえばの場面を描きました。
討ち入りといえば、雁木模様の衣装。
そして激しい立ち回り。
ここに至るまでの段にはそれぞれ歌舞伎らしさがあるのですが、討ち入りは実録風というか活劇調というか、時代劇を観ているようです。
立ち回りが多いこともあってが人々の動きが早ければ展開も早い。
最後に出てくる服部逸郎または桃井若狭之助が馬上で扇子を掲げる姿は、美味しいところどりというか、能天気なお侍さんという感じが否めず、それまでの余韻が吹っ飛んでしまうのですが、歌舞伎でよくある切口上の変形版ではないかと個人的には思っています。
あまりにも服部さん(桃井さん)が爽やかなので、あの広げた扇は厄払いなのかも、と思ってしまうくらいです。
「仮名手本忠臣蔵」では、たくさんの人が亡くなりましたから。
劇評家の間では十一段目は蛇足とするのが定番のようで「演劇的には価値がないが、客が喜ぶから興行側の事情で上演せざるを得ない」という姿勢の方が多いようにお見受けします。
中には、焼香場も蛇足と捉える評もあり、省略されて当然という向きもあります。
浄瑠璃や映画では菩提寺の墓前で焼香をあげますので、それを無理に入れ込んだというのが理由のようです。
十一段目は好みが分かれるところですが、私は十一段目が好きです。
単体で上演されることはまずありませんし、通し狂言ならば大団円の締めくくりが欲しい。
浪士たちがえいえいおーと勝鬨をあげる姿は、あぁ良かったねぇと素直に思ってしまいます。
両国橋に集う浪士たちの姿の圧巻なこと。
いやーアッパレあっぱれ、今年も無事に討ち入りができた、良いお年を。
演劇的価値の有無よりも、舞台を観た時の感動の方が大事だろうと一人の歌舞伎好きとしては思うのでした。
お酒を飲んだ後に〆にラーメンを食べるようなもので、無くても良いけど無いと寂しい。
難しい考察抜きで楽しむだけの演目があっても良いし、それを許容できるのが歌舞伎の魅力でもあると思います。
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