描かれている人物
赤枠右:(左から)雌鴛鴦の精、雄鴛鴦の精
赤枠左:(左から)俣野五郎景久
下段:(左から)河津三郎祐泰、遊女喜瀬川、股野五郎景久
股野は俣野と表記されることもあります
絵の解説
左から、
河津三郎祐泰、遊女喜瀬川、股野五郎景久
鴛鴦の精が乗り移った喜瀬川と河津三郎、その二人に襲われ刀を構える股野五郎
鴛鴦の衣装はぶっかえりなので帯が見えません。
ぶっかえった衣装は背後で後見が高く掲げています。
舞台では緋毛氈の足台の上に立ちますが省略しました。
「石切梶原」での股野五郎。
手に掴んでいるのは梶原平三が手にしている刀。
あらすじ
・河津三郎祐泰(かわづさぶろうすけやす)
曽我兄弟の父親。
相撲が得意。
河津掛け考案者とされる。
源氏方。
・股野五郎景久(またののごろうかげひさ)
河津三郎の朋輩。
喜瀬川に横恋慕している。平家方。
・喜瀬川(きせがわ)
河津三郎と恋仲の遊女
あらすじ
河津三郎と股野五郎は二人とも遊女喜瀬川に恋してしまう。
両者は相撲で決着をつけることにし、喜瀬川は行司をつとめる。
結果、河津三郎が勝ち、喜瀬川と立ち去る。
想いを断ち切れない股野五郎は、
雄鴛鴦の生血を飲むと発狂するという伝承を思い出し、
これを酒に混ぜて河津三郎に飲ませる。
つがいの雄を殺された雌鴛鴦は嘆き悲しみ、
喜瀬川に憑依して河津三郎の前に現れる。
それによって雄の鴛鴦の霊が河津三郎に憑依し、
二人は股野五郎を責め苛む。
私のツボ
曽我もの
河津三郎祐泰と俣野五郎景久が相撲で大一番を取った逸話は
鎌倉時代初期の「曽我物語」に出てきます。
伊豆に巻狩(まきがり)に出た源頼朝の前で行われた大一番。
結果、日本一と謳われた股野が負け、
その遺恨が遠因となって河津三郎は暗殺され、
遺子の曽我兄弟による仇討ちへと繋がる、
というのが曽我物語の世界。
その、いわゆる”遺恨相撲”の逸話に
古今東西よく知られた鴛鴦伝説を絡め、
さらに当時売れっ子だった遊女の喜瀬川を登場させて構成した舞踊。
初演は1777年(安永四年)、戦後に六世中村歌右衛門が復活上演しました。
喜瀬川は「寿曽我対面」にも遊女喜瀬川亀鶴として登場することがあります。
遊女喜瀬川といえば吉原の松葉屋お抱えの人気遊女で、
歌麿や国芳などが美人画で描いています。
河津三郎も股野五郎も鎌倉時代の人なのに、と言うことなかれ。
広く知られたものを組み合わせて作品にするフットワークの軽さ、
言い方を変えれば節操の無さ。
この軽さが歌舞伎の魅力の一つだと私は思っています。
鴛鴦伝説は、今昔物語や各地の民話に同様の話が見られるので、
広く知られていたものなのでしょう。
なお、河津三郎が股野五郎に勝った技が河津掛けとされていますが、
これも諸説あるようで、相撲界隈でも意見が分かれるようです。
何と言うことはない舞踊の小品ですが、
さまざまな逸話や伝承の地層から湧き出た湧水のような作品と思うと感慨深いです。
股野 THE 赤っつら
相撲に負けたのに負けを認めないどころか復讐までする股野五郎。
歌舞伎でお馴染み赤っつらですが、この名前どこかで聞いたなぁ…。
「石切梶原」で、梶原平三にイチャモンをつけ、
二つ胴の試し斬りを提案する男です。
ここでももちろん赤っつらと、ボールのようなふさふさの前髪。
股野五郎は赤・緑・黄が好きなようです。
なかなか着こなせない色合いです。
同じ人物が違う演目に登場することはよくあることで、
演目が違うので同じ人物といえどもほぼ別人なのですが、
あちこちで活躍しているのを見ると楽しくなります。
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