描かれている人物
赤枠上:(左から)るん、伊織
赤丸上:下嶋甚右衛門
赤丸下:宮重久右衛門
赤枠中:(左から)きく、宮重久弥
赤枠下:(左から)るん、伊織
絵の解説
虫に刺された?と思いきや、黒子でした。
若かりし頃の伊織・るん夫妻。
仲睦まじい様子。
骨折してお詫びの挨拶に来た久右衛門。
刀を手に不敵な笑みを浮かべる下嶋。
きく・久弥夫妻。
父のせいで苦労をかけてしまったことを心苦しく思い、伊織とるんの再会を喜んでいる。
大木に育った庭の桜を愛でる伊織・るん夫妻。
あらすじ
「ぢいさんばあさん」原作 森鴎外、作・演出 宇野信夫
主な登場人物と簡単な説明
・美濃部伊織(みのべいおり)
怪我をした義弟の代わりに京都へ1年間単身赴任することになる。
・るん
伊織の妻。
伊織との間に息子が生まれたばかりの頃に、伊織が弟の代わりに京都へ単身赴任することになる。
・下嶋甚右衛門
伊織の同僚で碁敵
・宮重久右衛門
るんの弟。
・宮重久弥
宮重久右衛門の息子。るんの甥。
・きく
久弥の妻。
あらすじ
序幕 江戸番町美濃部伊織の屋敷
おしどり夫婦の伊織・るん夫妻。
るんの弟・久右衛門が短気のせいで怪我をしたため、京都二条城在番の勤務ができなくなってしまい、代わりに義兄の伊織が行くことになる。
伊織とるんの間には、息子が生まれたばかり。
愛しい妻子と別れて京都へ行かねばならないことを悲しむ伊織であった。
二幕目 京都鴨川口に近い料亭
伊織が京都へ来てから三ヶ月。
伊織は気に入った刀を買い、友人を招いて酒宴を開いている。
その刀を買うに際し、足りなかった金を下嶋から借りたと話す伊織に、友人たちはすぐ金を返すようにと忠告する。
そこへ泥酔した下嶋がやってきて、招かれなかったことに腹を立てて悪態をつき、果ては足蹴にする。
じっと耐える伊織だったが、はずみで下嶋を斬りつけてしまう。
ことの成り行きに呆然とする伊織であった。
大詰 江戸番町美濃部伊織の屋敷
それから37年の月日が経過。
伊織は下嶋を死なせた罪で越前有馬家にお預けの身となり、るんは筑前の黒田家の奥女中を務めていた。(下嶋は伊織に斬られた傷が原因で数日後に死亡)
その間、久右衛門の息子の久弥・きく夫婦が伊織の屋敷を預かっていた。
いよいよ、伊織の帰郷が許され、久弥夫妻は長年苦労した叔父と叔母を思い、屋敷を後にする。
ついに再会を果たす伊織とるんだったが、長い年月離れ離れで暮らしていたのですぐに相手が分からない。
伊織の昔と変わらぬ癖を見て、「旦那さまか」「るんか」と互いを認める。
再会を喜ぶ二人。
伊織は長年苦労をかけたことを詫び、るんは息子を流行病で死なせてしまったことを涙ながらに詫びる。
大木になった庭の桜を見ながら、新しい生活を始めることを誓い合う二人であった。
私のツボ
夫婦の絆
他の演目と比べて上演頻度が高いような印象の本演目ですが、物語が分かりやすいからでしょうか。
観終わった後に”よかったね”と温かい気持ちになります。
37年間の月日の間、去る者(下嶋、るんの弟)もいれば、新しく時代を担う若者(久弥夫妻)もいて、時代は入れ替わっていく。
その月日を経て、残ったものは変わらぬ夫婦の絆と、大木に育った庭の桜。
若い頃の伊織・るん夫妻のイチャイチャぶりが面白く、観客が照れてしまうほど。
そこは描きたかったので、夫婦今昔と分かりやすい構成にしました。
伊織が下嶋を斬りつけてしまう鴨川での酒宴も風情がある舞台美術なのですが、絵にするにはやや散漫になってしまうので、下嶋の怪しい笑みだけにしました。
桜の花びらをひらひらと舞わせる際の、伊織のなんとも言えない寂しげな表情が良いのです。
やや青みがかった照明と、欄干の向こうの空間が鴨川の涼しげな空気を醸します。
再会してから、二人と気付くまでも細かい演出があって楽しいのですが、若い頃との対比ということで手を取り合って桜を眺める姿にしました。
江戸番町の屋敷から始まり、その屋敷で閉じる二人の物語。
滋味あふれる良い舞台です。
森鴎外の原作
下嶋という男の人物像がよく分からず、伊織が斬りつけるに至った心情もよく分からず、原作を読みましたが結局よく分かりません。
鴎外特有の淡々とした筆致で、性分などについては詳しく書かれていません。
るんは”美人と云ふ性の女ではない”そうで、一方の伊織は”色の白い美男”だそうです。
ただ、伊織は生来癇癪持ちだが、るんと結婚してからは穏やかになったと書かれていたので、単身赴任の寂しい日々によって伊織本来の脆さが出てしまったのでしょう。
借金してまで刀を誂えるのも正直理解に苦しみますが、”刀は武士の魂”という慣用句があるほどですから、意識してか無意識か、心の拠り所としたかったのかもしれません。
下嶋は仲間たちからも嫌われていたようですが、”ちょっと厄介な人”程度の扱いです。
どう厄介なのか、厄介な人になった経緯や彼の背景は言及されていません。
肝心なのは伊織とるんが離れ離れになった長い月日であり、そのきっかけを下嶋は与えたに過ぎないと。
なんとも不憫な下嶋の最期ですが、強引に深読みすれば武士の奢りが招いた悲劇と言えるかもしれません。
新歌舞伎に出てくる侍は基本的には善人が多く、南北作品に出てくるような食い詰めた浪人や侍崩れが出てきませんし、時代物によくある超常現象も無いので安心です。
歌舞伎を見始めた頃は、新歌舞伎はぶっとび要素が少ないので少々物足りなく思っていましたが、最近その良さがやっと分かってきました。
”実ハ〜”のどんでん返しや”今初めて知った設定”や”急に出てきた関係者”がないので、物語の世界に素直に身を委ねられる安心感があります。
そしてまた、ぶっとび要素が無い分、俳優さんによる味わいの違いがより顕著にわかるので、それもまた新歌舞伎を観る楽しみです。
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