描かれている人物
KNPC38:早野勘平、斧定九郎
絵の解説
暗闇の中、猪がかかった縄(実は定九郎)を手繰り寄せる勘平。
与市兵衛を襲って五十両を強奪し、刀の血を拭う定九郎。
あらすじ
「仮名手本忠臣蔵」五段目
主な登場人物と簡単な説明
・早野勘平(はやのかんぺい)
塩谷判官の元家臣。おかるは恋人。
恋人おかるの郷里・山崎の実家に身を寄せている。
猟師になったが、帰参の時節を待っている。
・斧定九郎(おのさだくろう)
山賊。斧九太夫の息子。
・与市兵衛(よいちべえ)
おかるの父
・千崎弥五郎(せんざきやごろう)
塩谷浪士
あらすじ
<山崎街道>
おかるの故郷・山崎の実家に身を寄せた勘平は、猟師となっていた。
ある夏の夜、猟に出ると夕立で鉄砲の火縄を湿らせてしまう。
通りかかった旅人に火を借りようと声をかける。
その旅人は、かつての同僚・千崎弥五郎であった。
勘平は今の身の上を恥ながら、仇討ちの計画があるなら加わりたいと訴える。
そのひたむきさに心打たれた弥五郎は、亡君の石塔を建立する御用金を調達していると語る。
暗に、討ち入りの計画を知らせたのである。
なんとか資金を調達すると約束した勘平は、明後日再会する約束をする。
<二つ玉>
その資金を作るため、おかるは勘平に内緒で祇園の遊郭に自ら身売りする。
その身売り金の半金50両を受け取ったおかるの父・与市兵衛は、その帰り道、山賊・斧定九郎に襲われ、金を奪われた上に殺されてしまう。
刀についた血を拭い、ほくそ笑む定九郎。
そこへ手負の猪が駆けて来て、定九郎が避けると、二発の銃弾が背中を貫く。
撃ったのは勘平。
猪と誤って人を撃ったと気がついた勘平は、介抱せんと懐に手を入れると大金が入った財布に触れる。
その財布を掴んだ勘平は、夜の闇の中、走り去るのだった。
私のツボ
憂い顔の猟師
幕開き、雨宿りをして笠をあげて顔を見せる勘平。
雨宿りしながら「俺、なんでこんなところにいるんだろう」とで思いを馳せていたかのような憂い顔です。
照明を落とした薄暗い舞台に、勘平の白い顔が映えます。
この物憂げな勘平が好きなのですが、動きが欲しいので縄を手繰り寄せるところにしました。
あそこで千崎に出会わなければ、おかると二人仲良く田舎で暮らしていけたものを、と思えてなりません。
何かとタイミングの悪い男です。
猪と勘違いして撃った鉄砲玉が定九郎に当たってしまうわけですが、定九郎が掛稲の前でぬかるみに足を滑らせて身を低くしたのを猪と見間違えてのことです。
猟師としての腕前はそこそこあったといえましょう。
斧九太夫と定九郎
もともとは赤っつらに頭巾にどてらという山賊姿だった定九郎を、白塗りの黒紋付という現在の出立に変更したのは中村仲蔵というのは有名な話です。
また、原作では与市兵衛を呼び止めて金を貸してくれと声をかけて強盗に及ぶのですが、これも削りに削られ、稲藁からヌッと白い腕を突き出し、ことに及んだのちに一言「五十両」呟くだけの演出になりました。
雲助寄りの山賊から、雨の雫をはらう仕草が艶っぽい色悪寄りの浪人へと変貌を遂げました。
定九郎は斧九太夫の息子なのですが、そうと知って私は九太夫にがぜん興味が湧きました。
斧九太夫ー
四段目では「知行高に割らっせい」とお家断絶後の分配金を少しでも多く取ろうとするわ、判官の焼香中に居眠りするわ、挙句、師直側に寝返ってスパイに成り果てます。
師直が敵ならば、九太夫は不忠臣であり、「忠臣蔵」の世界では悪役として描かれています。
悪役も生まれた時から悪人だったわけではなく、何かきっかけがあって悪に染まるわけで、その闇なり陰なりが感じられると、役に奥行きが出ます。
例えば「十六夜清心」の清心が、お座敷の賑やかな音を聴いて悪に目覚めるといったような。
だからこそ悪役に興味が湧きますし、その心理が複雑であればあるほど面白いと感じます。
斧父子に話を戻しまして、
九太夫が、武士の風上にも置けない人間であるのは、やはり定九郎に原因があるのではないかと思います。
国家老の由良之助には立派な力弥という息子がいて、主君の小姓を務めている。
凛々しい好青年で、桃井家家老・加古川本蔵の娘と許嫁の仲。
大星家の未来は明るい。
かたや、斧定九郎。
どこで何をしているのやら。
仲蔵が作り上げた定九郎の風体から察するに、いくら実の子といえども冷徹な殺人鬼となると親子の関係は断絶していると思われます。
家督を継ぐ息子はいないに等しく、我が身は自分で守らなければならない。
だからこそ金にがめつく、より力のある方へと流れていってしまうのでしょう。
ワシだって由良之助のような立派な武士になりたかったよ、という呟きが聞こえてきそうです。
そう思うと、九太夫が不憫でなりません。
定九郎のおかげで、九太夫という人間が好きになってしまいました。
九太夫のモデルとなった大野九郎兵衛は、浅野家の末席家老でした。
浅野家断絶ののちの九郎兵衛は諸説あり、どれが真実なのかは分かりません。
私が好きな説は、群馬の下磯部で遊謙という僧になったというもの。
晩年の彼は、岡本綺堂の短編「磯部の若葉」に書かれた九太夫であってほしい。
「磯部の若葉」青空文庫
https://www.aozora.gr.jp/cards/000082/files/49562_33623.html
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