描かれている人物
左から:桃井若狭之助、高師直、塩谷判官
左から:顔世御前、高師直
絵の解説
顔世御前の袂に結び文を滑り込ませる高師直。
動揺する顔世。
高師直に悪態をつかれ、師直に詰め寄る若狭之助とそれを押しとどめる塩谷判官。
三人見得よろしく三重にて。
あらすじ
「仮名手本忠臣蔵」大序〜鶴ヶ岡社頭兜改め
主な登場人物と簡単な説明
・高師直(こうのもろなお)
在鎌倉の執事で、若狭之助・判官の指南役。モデルは吉良上野介(きらこうずけのすけ)。
・塩谷判官(えんやはんがん)
直義の御馳走役の一人で、伯州城主の大名。モデルは浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)。
・顔世御前(かおよごぜん)
塩谷判官の正室。元宮中の女官。
・桃井若狭之助(もものいわかさのすけ)
直義の御馳走役(使者を接待する役)の一人。血気盛んな大名。
他、足利直義、諸大名などがいます。
あらすじ
足利尊氏は新田義貞を滅ぼして天下を掌握。
鎌倉鶴岡八幡宮に、その義貞着用の兜を奉納するため、尊氏は弟直義を代参させる。
唐櫃には47個の兜が入っており、どれが義貞の兜かわからない。
兜鑑定の役として、塩谷判官の妻・顔世御前が呼ばれ、義貞の兜を見つけ出す。
顔世御前に横恋慕していた師直は、好機とばかりに顔世に言い寄る。
それを若狭之助に見咎められた師直は、腹立ち紛れに若狭之助を侮辱する。
怒った若狭之助は師直に斬りかかろうとするが塩谷判官が止める。
足利直義が八幡宮から退出した後も師直は若狭之助にさんざん悪態をつき、睨み合う二人の間に塩谷判官が入ってその場を収めようとする。
緊迫したまま幕。
私のツボ
高師直の結び文
「大序(プロローグ)」は時代物の浄瑠璃(原則として五段組織)の第一段のうち、最初の部分を指します。
「大序」が上演されるのは、「仮名手本忠臣蔵」のみで、それ以外は文字でしか確認できません。
それだけでも貴重なのですが、演出も特徴的です。
口上人形、幕開きの「天王建ち下り端(てんのうだちさがりは)」という鳴物に合わせてゆっくり開く定式幕、47回打たれる幕開きの柝、人形身の登場人物。
「大序」は、通し狂言でしか上演されないので観る機会が少ないこともあり、ワクワクした気持ちになります。
荘重な雰囲気で始まる舞台ですが、高師直の強烈なキャラクターでどんどん人間くさい卑近なものとなってまいります。
このギャップが面白いです。
塩谷家をめぐる悲劇は、高師直のスケベ心が招いた、というのがなんとも皮肉ですが、歴史的事件の発端はわりとしょうもないことだったりします。
この高師直が本当に横柄で好色狸ジジイなのですが、清濁合わせ呑む政治家タイプと言えましょう。
クセが強い人物は好きなので、もともと好感度は高いのですが、さらに好きになったのが結び文の内容を知ってから。
どんな文を送ったかというと、
〽顔に似合わぬ様参る、武蔵鐙と書いたるを
と義太夫にあるように、「様参る武蔵鐙」と書いてありました。
「様参る」は恋文の末尾の決まり文句。宛名の下に添える言葉です。
「武蔵鐙」は、師直が武蔵守であることから、『伊勢物語』十三段の話に掛けたもの。
曰く、武蔵の国の男が京に残してきた妻のもとに「聞ゆればはづかし、聞えねば苦しい(お便りすれば恥ずかしく、お便りせずにいるのは苦しい)」と書いて、上書き(うわがき=手紙の表書)に武蔵鐙と書いた。
鐙(あぶみ)は左右に両足を乗せる馬具で、転じて「武蔵鎧」は武蔵国で妻ができたことを暗に伝えています。
つまり、高師直には妻がいますが、あなた(顔世御前)が好きになってしまった、ということを意味します。
このレベルの高いやりとりが瞬時にできてしまう顔世と高師直。
当時の教養人ならば常識なのかもしれませんが、現代人の私は鎧が正しく読めませんし、読めたところで伊勢物語まで辿り着きません。
横暴な好色ジジイ・高師直は、権謀術数渦巻く幕府内を渡り歩くための仮の姿で、本当は教養人なのではなかろうか。
政治の中枢にいればいるほど、嫌われ者の方が色々と動きやすいでしょう。
力ずくで顔世御前を我が物に出来たでしょうが、それをせず、あえて謎かけのような結び文を渡す。
結び文を懐に温める姿はなんといじましいのでしょう。
というわけで、タヌキな師直と、好色な好事家の師直を描きました。
余談ですが、この結び文のやりとりが好きで、武蔵鐙にまつわるアレコレを調べるうち、同名の植物があるとを知りました。
これがなんとも摩訶不思議な佇まいで、平たくいうと不気味です。宇宙っぽいとも言えます。橙色の実が禍々しく(集合体恐怖症の人は要注意)、しかも毒草です。
だから何という話ですが、ひと筋縄ではいかない高師直ひいては「仮名手本忠臣蔵」らしいなと思いました。
二月なのに銀杏の葉が黄色
カードには描いていませんが、「大序」の舞台で幕開けと共にまず目に入るのは黄色い葉をつけた銀杏の大木。
義太夫で如月下旬と語られるように、兜改が執り行われたのは暦応元年(1338)二月下旬ですが、舞台の銀杏の葉は黄色に色付いています。
鶴岡八幡宮といえば銀杏。
銀杏といえば黄色。
本来の季節に則るのであれば早春の若葉ですが、黄色の方が銀杏と分かりやすく、かつ色彩のバランスも良い。
分かりやすさ、美しさを優先してのことだろうと思います。
二月なのに銀杏が黄色い理由を明記した文献はいまだに確認できていませんが、あれこれ調べるうちに、そんな瑣末なことはどうでも良くなってしまいました。
これも歌舞伎の様式美だとすると、意外と直感的な積み重ねで形成されたものなのかもしれません。
コメント