かぶきがわかるねこづくし絵本3 菅原伝授手習鑑 (講談社)

かぶきねこづくし

描かれている人物

絵本表紙:(手前から後方へ)松王丸、桜丸、梅王丸
「寺子屋」:(左から)千代、松王丸、園生の前、菅秀才、源蔵、戸浪

絵の解説

絵本表紙

原画

絵本本文より「寺子屋」の場面

原画

私のツボ

女たちの悲劇

歌舞伎の三大名作を絵本にする際、物語全体を貫くテーマを私なりに据えて取り組みました。
「仮名手本忠臣蔵」は忠義、「義経千本桜」は義経による平家の弔い、といったように。
ページ数に限りがあるので、どの場面を描くか、どの台詞を載せるかを決める基準としていました。

「菅原伝授手習鑑」は、正直なところ私にとって未消化の演目で、”親子の別れ”という解説書や評文にある一般的なテーマで以てとりかかりました。
「車引」「寺子屋」は単体で上演されることも多いので色々な座組で見たことがありますし、通しでも見たことがありますが、”こんな物語”と端的に語れるほど理解できていませんでした。

確かに、親子の別れの場面はそこかしこにあります。
菅丞相と苅屋姫、白太夫と三つ子、松王丸夫妻と小太郎。
さらにいえば、立田の前と覚寿、菅丞相と菅秀才。
肉親との別れに広げれば、三つ子、夫婦ととにかく別れが多い。
これだけ別れが続けば、それはもう悲劇に他なりません。

悲劇なので後味が悪いのは当然なのですが、この後味の悪さは何に起因するかと考えたとき、女が常に置いてきぼりになっていることだと思い至りました。

と、思い至ったきっかけが「賀の祝」。
なぜ桜丸は八重を置いて死ぬんだと、白太夫もなぜ桜丸を止めないのか、随分身勝手で無責任な話だなと釈然としませんでした。

男たちは菅丞相つまり忠誠を見ていて、妻たちは愛する人を見ている。
それぞれ愛の向け方が異なること、優先するものが異なることによる悲劇です。

菅丞相への忠義のために桜丸は自害し、松王丸は実子を犠牲にし、源蔵は他人の子供を殺める。
受け入れ難い行為ですが、八重も千代も戸浪も、夫への愛ゆえにその決断を受け入れます。
すなわち、共に夫が犯した罪を背負って生きていくことを受け入れたわけです。
愛ゆえに、時として人は常識や条理を越えてしまいますが、夫婦でありながら、二人で見ているものが違う。
命をかけて守るものが、男は忠誠心で、女は伴侶への愛。
この違いというかズレが全ての悲劇を生みます。

苅屋姫も齋世親王への愛を優先しますが、斎世親王は立場を憚って雲隠れしてしまいます。
放り出されたに等しい姫がどれほどの罪悪感に苛まれたかは想像に難くありません。
立田の前も、夫との愛を信じたからこそ説得を試みます。
結局、権力欲を優先した夫は言われるがままに妻をあっさり殺してしまう。

なんだかなぁ、やるせないなぁと思います。

「菅原伝授手習鑑」の作者は”親子の別れ”をテーマに書いているので、”女たちの悲劇”を意識はしていないと思います。
女たちは三つ子を筆頭に男たちの悲劇性を高めるための役割にすぎません。
時代的にも妻は夫に付き従うべき立場ですし、その時代背景を云々するつもりはありません。
あくまで私の深読みなのですが、この”伴侶として一緒に生きていながら、見ている景色が違う・優先するものが違う”ことがもたらす悲劇、というのはある意味普遍的なテーマではないかと思います。

というわけで、「菅原伝授手習鑑」は”女たちの悲劇”であると私は認識しています。
親子の別れよりも、女たちの悲しみの方が深く、辛い。
特に、「寺子屋」での白装束に身を固めた千代の青ざめた悲しさは痛いほどです。

ツィゴイネルワイゼン

絵を描くとき、音楽を聴きながら描くことが多いです。
これまで絵本を七冊刊行しましたが、それぞれよく聴いたBGMがあり、それを聴くと当時のことが思い出されます。
だいたいモーツァルトとバッハとベートヴェンです。
たまに景気付けでヴェルディ。

細かい作業はバッハと相性が良いので、「ねこさがし」は1も2もバッハのお世話になりました。
バッハのループする感じが大量の猫を描くのに適しているのかもしれません。
私はそこまで指揮者や演奏者にこだわらないので、手元にある音源でまかなえるのですが、「菅原伝授手習鑑」だけはなぜかヤッシャ・ハイフェッツ一択でした。
しかも最終的にはハイフェッツの「ツィゴイネルワイゼン」ばかり聴いていました。
「菅原伝授手習鑑」の絵本を描いているとき、友人が茶菓子を差し入れに来てくれたのですが、ずーっと「ツィゴイネルワイゼン」ばかりループでかけているので居心地が悪かったのか早々に帰ってしまいました。

なぜあそこまでハイフェッツの「ツィゴイネルワイゼン」がハマったのか分からないのですが、あのドラマティックなメロディと、哀愁を帯びたハイフェッツの音色が松王丸や千代らの苦悩とシンクロしたのかもしれません。

絵本を描き上げた後も、しばらくハイフェッツ・ブームが続きました。
最後のリサイタルのアルバムはもう本当に素晴らしいのですが、そこに「ツィゴイネルワイゼン」は収録されていません。
それが個人的には隠れた逸品という感じで嬉しくて、ますます同曲が好きになってしまいました。
いまだに「菅原伝授手習鑑」というと私はハイフェッツが浮かび、「寺子屋」は「ツィゴイネルワイゼン」が頭の中で流れます。

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