絵の解説
関東大震災前の山下居留地の海岸部の様子
左手奥に見えるのは鉄桟橋と横浜港
煉瓦作りの建物は横浜税関
メリケン波止場の灯が見える
大正12年9月1日に発生した関東大震災で横浜の景観は大きく変わりました。
横浜も甚大な被害を受け、
海岸通りの大量の瓦礫処分地として指定された海岸通りがやがて山下公園の整備につながりました。
絵に描いたのは明治40年頃の様子。
海岸通りは散歩道として人力車や人々が往来していました。
明治時代の横浜は写真資料が豊富にあるので、絵葉書を参考に構図を組み立てました。
大桟橋、通称メリケン波止場。
淡谷のり子が唄ったメリケン波止場は本牧埠頭。
明治生まれの祖母は、小麦粉のことをメリケン粉と呼んでいました。
このメリケンという言葉の不思議な響きが好きで、
異国への憧憬に、島国のプライドとコンプレックスがほんのり混ざるような、
なかなかに叙情的な言葉だと思うのでした。
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