描かれている人物(括弧内は場面)
上右: (左から)衣川弥三左衛門、お園(「吉岡一味齋屋敷」)
下左:お園(「瓢箪棚」)
下右:お園(「毛谷村」)
絵の解説
わざとお園を挑発し、お園の武術の技を見極める弥三左衛門。
お園の技に感服した弥三左衛門は仇討ち免許を渡す。

原画
鎖鎌をぶん回して京極内匠と戦うお園。
うっかり両方に鎌を描いてしまいました(修正前)。
本来は片側に草刈り鎌、もう片側には重しの分銅が付いています。

原画(修正前)
一味斎の形見の刀を見るお園

原画
あらすじ
主な登場人物と簡単な説明
・お園(おその)
吉岡一味斎の長女。大力で武術に長けた女武道。
酒豪。身長180cm。
六助は親が決めた許嫁。
実は一味斎の実子ではなく、伊勢参りの帰り道に名器「千鳥の香炉」と共に拾った子。
・衣川弥三左衛門(きぬがわやざえもん)
郡家の家臣。お園の妹・お菊の内縁の夫・弥三郎の実父。
あらすじ
これまでの経緯
※2002年12月国立劇場での通し狂言を参考にしています
長門国、郡家の剣術指南役を務める吉岡一味斎は、
御前試合で負かした同役の京極内匠に恨まれて殺害される。
(「周防国山口八幡宮の場」)
残された家族は各々仇討ちの旅に出るが、
息子の三之丞は盲目ゆえに足手まといになるのを恐れて自害。
(「長門国吉岡一味斎屋敷の場」)
お菊は京極内匠の返り討ちにあって命を落とす。
一子・弥三松は、お菊のお供をしていた若党に助けられる。
(「摂津国須磨浦返り討の場」)
山城国小栗栖村(現在の奈良県吉野郡)近くの瓢箪棚。
夜鷹に扮して敵を探すお園。
そこへ若党がお菊の死を知らせに来、責任をとって切腹。
その際に敵(京極内匠)から奪った守り袋を池に投げ入れる。
すると水気が湧き上がり、池の蛙が一斉に鳴き出す。
池の中から霊刀・蛙丸(かわずまる)が出現。
実は明智光秀の遺児だった京極内匠は、霊力に引かれて登場し、刀を入手。
お園は鎖鎌を操って京極内匠と知らぬまま激しく争うが、
京極内匠は蛙丸を手に逃走する。
(「山城国小栗栖瓢箪棚の場」)
杉坂墓所。
百姓六助が母の墓参をしていると、
老婆を連れた微塵弾正と名乗る男が現れ、
余命いくばくもない母に孝行したいので試合に負けて欲しいと六助に頼む。
六助に勝った者は剣術指南として召し抱えるという御触れが小倉藩から出ているからである。
孝行のためならと六助は快諾する。
帰り道、山賊に襲われている若党と幼子(弥三松)を助ける。
若党は幼子を託して絶命、六助はその子を家に連れ帰る。
(「杉坂墓所の場」)
毛谷村
六助の住処。
庭先で弾正と六助の試合が行われ、約束通り六助はわざと負ける。
弾正は扇で六助の額を傷つけて高笑いするが、六助は笑って激励する。
弾正は仕官が決まり立ち去る。
そこへ旅の老女が休ませて欲しいとやってきて、六助は快く招き入れる。
六助が弥三松の身寄りを探すために干していた着物を見て、虚無僧に化けたお園がやってくる。
六助を敵と勘違いしたお園は大暴れするが、昼寝から起きた弥三松が「おばさま」と抱きつく。
六助が許嫁と知れ、途端にしおらしくなるお園。
そこへ先ほどの老婆が現れ、一味斎の後室と身分を明かす。
一味斎の仇を討つべく、お幸が仲立ちとなり、六助はお園と祝言をあげる。
私のツボ
武闘派お園
通し狂言の場合、場面の構成は必ずしも一定ではありません。
「彦山権現誓助剣」は、1967年、2002年と2011年に通しで上演されており、
3回とも演出が異なります。
おそらく、2025年の通しも過去3回の通しとは演出が異なるでしょう。
よって、段ごとに描くのではなく、人物ごとに描くことにしました。
まずはお園。
よく上演される「毛谷村」だけ見ると六助が主人公なのですが、
「彦山権現誓助剣」通しだと、六助は後半にしか登場しないのもあって、
お園が物語の主人公のように感じられます。
女武道・お園の旅物語とも言えましょう。
というわけで、”闘うお園”という構図でまとめました。
まずは一味斎屋敷での衣川弥三左衛門との立ち廻り。
身綺麗な衣装で、キリリと美しいお園。
お次は瓢箪棚で鎖鎌をぶん回すお園。
鎖鎌という武具自体は護身用の武器として実際に用いられていたものですが、
他の演目では私は見たことがありません。
女が隠し持つ武器として懐刀やカミソリならわかりますが、鎖鎌とはさすがお園。
ここでは夜鷹に扮しているので、くだけた衣装です。
そしてご存じ「毛谷村」。
臼をうっかり持ち上げてしまうところも可愛いのですが、
武闘派という構図なのでやはりここは刀を手にした姿にしました。
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