AKPC51 「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」⑤「五條坂甲屋奥座敷」

もうひとつ

描かれている人物

左上:御所五郎蔵
右上:星影土右衛門
下:(左から)逢州、皐月

絵の解説

怒る五郎蔵の様を冷笑する土右衛門
皐月を身請けしたので茶屋から酒が出されている

七三で捨て台詞を吐く五郎蔵
「晦日に月の出る里も、闇があるから憶えていろ」

逢州に五郎蔵宛ての手紙を託す皐月
(修正前)

あらすじ

主な登場人物と簡単な説明

・御所五郎蔵(ごしょのごろぞう)
京都の男伊達(侠客)。
旧主巴之丞の借金百両の工面に奔走している。

・皐月(さつき)
御所五郎蔵の女房。
家計を支えるため傾城づとめをしている。

・逢州(おうしゅう)
五條坂の傾城。巴之丞の寵愛をうける。

・星影土右衛門(ほしかげどえもん)
流浪の果てに京都に流れつき、フリーランスで剣術の指導をしている。
まだ皐月に横恋慕しており、五郎蔵や巴之丞と対立している。

他、五郎蔵の子分、星影土右衛門の弟子などがいます。

あらすじ

五條坂仲之町甲屋の場
須崎角弥と皐月が浅間家から勘当されてはや七年(五年、三年と上演によって異なります)。
二人は京都で夫婦になり、須崎角弥は御所五郎蔵と名乗る侠客になっていた。
五條坂で遊ぶ巴之丞の警護をしている。
皐月は家計を支えるため遊女として働いていた。

某日、五郎蔵が古朋輩・星影土右衛門と五條坂で鉢合わせする。
皐月を譲れと迫る土右衛門だが、キッパリと断る五郎蔵。
一触即発のところを茶屋の女房が仲裁に入る。

ゲン直しに甲屋で飲もうと五郎蔵を誘う土右衛門だったが、
五郎蔵は用事があるからと断る。

五郎蔵は、巴之丞が作った借金百両の金策に向かう。
巴之丞が逢州を見染めて通い詰めたためにできた借金なので、
浅間家には内密である上に、廓に連れて行ったのは五郎蔵であった。
責任を感じた五郎蔵は金策に走るが、
返済日の今日になっても目処は立っていなかった。

「五條坂仲之町甲屋」はこちら
KNPC101 曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)

五條坂甲屋奥座敷の場
甲屋では皐月が五郎蔵の苦衷を思って悩んでいた。
そこへ土右衛門が百両を貸そうと声をかける。
その引き換えに、五郎蔵に退状(のきじょう:離縁状)を書けという。
金のため、皐月は偽りの退状を書く。

緊張のせいか、皐月は退状を書き損じて一枚破り捨て、懐にしまう。
実は、これは五郎蔵に宛てた手紙で、ことの真相を書いた手紙であり、遺書であった。
偽りの退状を渡す前に五郎蔵に真意を伝えるために渡そうとしたのである。

そこへ五郎蔵がやってきて、土右衛門の門弟が退状を渡してしまう。
満座の中で愛想づかしをされ、皐月の真意も分からず、逆上する五郎蔵を逢州が止める。
五郎蔵は土右衛門が出した手切れ金の百両を拒み、捨て台詞を残して立ち去る。

土右衛門は身請けに話をまとめようと花形屋(皐月が所属する置屋)まで行こうと誘う。
皐月は癪を理由に拒むが、皐月との道中を見せびらかしたい土右衛門がしつこく催促する。
みかねた逢州が皐月の裲襠をきて代わりに道中を勤めようと提案。
土右衛門はこの提案をのんで先に退出。

皐月は裲襠と共に逢州に五郎蔵宛ての手紙と金を託す。

私のツボ

皐月の裲襠

歌舞伎の衣装は役柄や演目によって固定になっているものが多々あります。
傾城の裲襠と俎帯も同様で、
「助六」の揚巻は端午の節句、七夕などの俎帯、
「籠釣瓶色街酔醒」の八ツ橋は八ツ橋図(杜若と橋の図案)の俎帯、
「壇浦兜軍記」の阿古屋は孔雀の俎帯、
などなど。

細部が微妙に異なることはありますが、デザインは統一されています。
本演目の皐月も同様で、八ツ橋図の裲襠です。
帯は俎ではなく、モスグリーンの地に菊と扇の織が入っているもの。
傾城の定番のような帯で、よく見かける帯です。

なぜその衣装になったか、というのはそれぞれに歴史なり事情なりがありますが、
こと傾城の場合は往々にして名前に由来するものが多いです。

皐月の裲襠が杜若なのは、五月という季節由来なのだろうと思っていましたが、
通しで物語全体を見た時に、
前半の「時鳥殺し」の場面へのオマージュも含まれているのでは、
などと深読みしたくなります。

さらに深読みすると、
巴之丞の愛妾時鳥は、杜若の咲く庭で殺され、
杜若の裲襠を着た逢州は誤って殺され、
杜若の裲襠の持ち主の皐月も命を落とす。

巴之丞に関わりのある女は悉く命を落とすのか、
はたまた杜若の呪いなのか、
杜若の咲く庭で殺された時鳥の呪いなのか、
などと妄想が膨らむのでした。

皐月の裲襠は杜若ですが、逢州は一定ではないようです。
蝶の俎帯は固定のようですが(若干デザインは異なる)、
裲襠は黒地に桜と紅葉と流水、紫地に菊文様など複数あるようです。

この狂言は名題にうたっている通り、”曽我物”となります。
といっても助六のように曽我物の世界に仕立ててあるというより、
正月狂言用に書いた戯曲なので、
”正月は曽我もの”という当時の慣習にならったというのが真相のようです。

五郎蔵のあだ名が”御所五郎丸”に由来することが台詞でも語られるので、
この点だけは曽我もの”と関連があるといえます。

”曽我もの”といえば「寿曽我対面」。
五郎丸なんていたっけ?と思って「寿曽我対面」の資料を引っ張り出すと、
大磯の虎の裲襠が逢州と同じデザインではありませんか(黒地に桜と紅葉と流水)。
さらに化粧坂少将の裲襠は、逢州の別バージョン(紫地に菊文様)。

いつからこの衣装になったのかは分かりませんが、
”曽我もの”との繋がりを発見したようで嬉しくなりました。

その勢いで絵を描いたので、逢州の裲襠が黒地に桜と紅葉と流水になっています。
これは誤りで、皐月の手紙を受け取る場面では、
逢州はすでに皐月の裲襠を羽織っているのが正しいので、修正しました。

なお、御所五郎丸は「寿曽我対面」には登場しません。

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