COPC31 大正時代の日本橋

ご当地シリーズ

絵の解説

花崗岩造りの日本橋。
橋の南側から三越百貨店方面(北詰)を望んだ眺め。

赤い建物は帝国製麻ビル。
その右隣の、茶色のドーム屋根の白い建物は保険会社。
その向こうの薄い黄色の建物は三越日本橋百貨店。

馬車に鉄道に人力車に自転車に。
日本橋は今日も賑やかです。

時代考証

日本橋の絵といえば、
なんといっても広重の東海道五十三次がまず浮かびます。
江戸時代の日本橋は、
白木造の太鼓橋で欄干には擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)がついています。

1873(明治6)年、平らな西洋式の木橋に架け替えられます。
馬車と人力車に対応したもので、
東京馬車鉄道が橋の上を通るようになりました。
擬宝珠(ぎぼし、ぎぼうしゅ)も廃止。

1911年(明治44年)、
木造だった日本橋は石橋に架け替えられました。
1903年(明治36年)に、
幅6間以上の橋梁は鉄橋もしくは石橋を架設することが
市区改正計画によって定められたため。

この時に架けられた橋は、
関東大震災と東京大空襲で部分的に破損するものの大きな被害は免れ、
現代に至ります。

以前、日本橋の江戸時代バージョンを描いたことがあったので、
ならば明治大正も、と思って描き始めました。

明治時代だと、まだなんとなく江戸の空気が色濃く残っています。
江戸時代の日本橋は描いたことがあるので、
ガラッと雰囲気が異なる大正時代にしました。

大正時代ともなると写真資料が豊富で、
「資料がなかったので想像でカバーしています」
と言い逃れもできず、
下調べにかなりの時間を要しました。

大正時代はどんどん街の様子が変わります。
大正8年に撮影された絵葉書を参考にしました。

時代の色

江戸時代の日本橋の絵は、何かと描く機会が多く、
何回か描いていますし今後も描くことがあることでしょう。

日本橋に限った話ではありませんが、江戸時代の景色は、青系の色が多くなります。
建造物も瓦屋根ですし、何より人々の衣装が青〜紺系が多い。
歌舞伎でも江戸の世話物は寒色系の衣装が多く、模様も細かい縦縞系が多い。
江戸小紋という染文様からも、控えめな服装が粋とされたようです。

同じ江戸時代でも、関西はわりと衣装が派手で、
横縞や大柄の格子などがあるのも興味深いです。
染織物文化の歴史が厚いことと、
北前船で全国から様々な着物が集まったことも大きいのかなと思います。

話を戻しまして、
明治になると、洋装が登場します。
だいたい軍人か警察官なので、色は黒が多い。
ポイントで赤いブレードが入ることもありますが、ほぼ黒です。
庶民の衣装は江戸時代とさほど変わらず、やはり寒色系が多いです。
帽子を被っている男性や、キャスケットを被っている丁稚などが新たに登場しますが、
茶系が多いので、さほど変化はありません。

色の数が急に増えるのが大正時代。
何より、女性の着物の色がカラフルになります。
銘仙の登場です。
友禅の廉価版のような扱いでしたが、やがてその軽さゆえに人気が出る絹織物です。
この”軽さ”とは、布の重量だけでなく、”カジュアルさ”も含まれています。
女性たちのカラフルになった衣装に加えて、建造物も石造りの洋風建築が建てられ、
街全体の色が明るくなります。

関東大震災でその色彩は失われてしまうのですが、
時代によって使う絵の具が全く違うので、面白いなーなどといつも思っています。

コメント