絵の解説
今から約5,000年ほど前、
井の頭池の周りに住んでいたであろう縄文猫の冬の様子。
雪の中の狩。
竪穴式住居の中で家族団欒。
春が待ち遠しい冬の日々。
太古のロマン
「井の頭遺跡群」というリボンバナーを取ってしまうと
果たしてここは吉祥寺なのかどうかはおろか、
日本かどうかさえも分からない、
カナダとか北極圏と言われても通じてしまいそうなのですが、
吉祥寺です。
吉祥寺である根拠は、長いので次の項にまとめました。
何が描きたかったかというと、
井の頭池の雪景色が描きたかった。
現代でも良いではないかと思いますが、
何も整備されていない、
深い森の、未開の武蔵野の地を描きたかったというわけです。
井の頭池の向こう岸に、山なみが見えたかどうかはわかりませんが、
山があった方が絵になるので描き加えました。
遮るものも何もなく、空気も澄んでいるので何かしら見えた事でしょう。
現代より3度ほど気温も低かったそうなので、
冬場はそれなりに雪も降り、積もったことでしょう。
冬場に狩をしたかどうか、その痕跡は出土していないので分かりませんが、
ずーっと竪穴式住居の中にいたとも考えられず、
たまには外で遊び半分で野兎を狩ったりしたのではないかなと。
などなど、逸脱しない範囲で想像を膨らませて描きました。
いずれにせよ、寒い冬は屋内で暖かくしてやり過ごすのは
人の営みとして、今も一万年前も変わらないでありましょう。
吉祥寺の根拠
縄文時代と一口にいっても一万年もの期間があり、
6期に分けられています。
この縄文時代の吉祥寺の冬の絵は、
中期(約5,000年〜4,000年前)の時代を描いています。
中期頃は、縄文時代の中でも最盛期とされ、
気候も安定している時代です。
縄文時代は気候の温暖化が進み、
関東地方の低地地域が海になった現象は「縄文海進」と呼ばれます。
大森貝塚がこの頃のもの。
これは縄文時代前期の頃で、気候が安定して海岸線も安定したのが中期の頃です。
吉祥寺を含む武蔵野地域は海から遠い丘陵地だったので、
縄文海進の影響はありませんでしたが、
海岸地域から人々が移動してきて人口が増えたと考えられています。
気候が安定したので森は豊かになり、人も増えました。
多摩地域ではこの時期の遺跡が多く発見されています。
資料が乏しい縄文時代とはいえ、
あまりファンタジーに振り切ってしまうのも憚られるので
長々と前提を書きました。
いろいろ資料に当たりましたが、
「東京の遺跡散歩」東京都教育庁生涯学習部文化課
がとても詳しく、面白かったのでおすすめです。
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