AKPC61 「彦山権現誓助剱~③微塵弾正実は京極内匠」

もうひとつ

描かれている場面

上左:「周防国山口八幡宮の場」
上右:「摂津国須磨浦返り討の場」
下右:「瓢箪棚の場」
下左:「杉坂墓所の場」

絵の解説

一味斎との御前試合。
まだ剣術指南役なので髪型は生締めです。
(王子スタイルの場合もあります)

原画

浪人になり、髪型は月代ボサボサスタイルになりました。
お菊を殺害した後、花道の引っ込み。

原画

瓢箪棚でお園と闘うところ。
とりあえず糊口を凌ぐためイカサマ賭博師になっています。

原画

老婆を背負って孝行息子のふりをしているところ。
背負わず一緒に歩いてくる演出が多いです。

原画

あらすじ

主な登場人物と簡単な説明

・微塵弾正実は京極内匠(みじんだんじょう 実は きょうごくたくみ)
郡藩の剣術指南役だったが、同役の一味斎に御前試合で負けて人生が狂う。
色悪で、お園の妹のお菊に横恋慕しているが、意にそぐわぬため殺害。
実は明智光秀の遺児で、豊臣一派に意趣返しする宿命を背負う。
六助を騙して八百長試合をしくみ、小倉藩の剣術指南となる。

あらすじ

これまでの経緯
※2002年12月国立劇場での通し狂言を参考にしています

長門国、郡家の剣術指南役を務める吉岡一味斎は、
御前試合で負かした同役の京極内匠に恨まれて殺害される。
(「周防国山口八幡宮の場」)

残された家族は各々仇討ちの旅に出るが、
息子の三之丞は盲目ゆえに足手まといになるのを恐れて自害。
(「長門国吉岡一味斎屋敷の場」)

お菊は京極内匠の返り討ちにあって命を落とす。
一子・弥三松は、お菊のお供をしていた若党に助けられる。
(「摂津国須磨浦返り討の場」)

山城国小栗栖村(現在の奈良県吉野郡)近くの瓢箪棚。
夜鷹に扮して敵を探すお園。
そこへ若党がお菊の死を知らせに来、責任をとって切腹。
その際に敵(京極内匠)から奪った守り袋を池に投げ入れる。
すると水気が湧き上がり、池の蛙が一斉に鳴き出す。
池の中から霊刀・蛙丸(かわずまる)が出現。
実は明智光秀の遺児だった京極内匠は、霊力に引かれて登場し、刀を入手。
お園は鎖鎌を操って京極内匠と知らぬまま激しく争うが、
京極内匠は蛙丸を手に逃走する。
(「山城国小栗栖瓢箪棚の場」)

杉坂墓所。
百姓六助が母の墓参をしていると、
老婆を連れた微塵弾正と名乗る男が現れ、
余命いくばくもない母に孝行したいので試合に負けて欲しいと六助に頼む。
六助に勝った者は剣術指南として召し抱えるという御触れが小倉藩から出ているからである。
孝行のためならと六助は快諾する。

帰り道、山賊に襲われている若党と幼子(弥三松)を助ける。
若党は幼子を託して絶命、六助はその子を家に連れ帰る。
(「杉坂墓所の場」)

毛谷村
六助の住処。
庭先で弾正と六助の試合が行われ、約束通り六助はわざと負ける。
弾正は扇で六助の額を傷つけて高笑いするが、六助は笑って激励する。
弾正は仕官が決まり立ち去る。

そこへ旅の老女が休ませて欲しいとやってきて、六助は快く招き入れる。
六助が弥三松の身寄りを探すために干していた着物を見て、虚無僧に化けたお園がやってくる。
六助を敵と勘違いしたお園は大暴れするが、昼寝から起きた弥三松が「おばさま」と抱きつく。

六助が許嫁と知れ、途端にしおらしくなるお園。
そこへ先ほどの老婆が現れ、一味斎の後室と身分を明かす。
一味斎の仇を討つべく、お幸が仲立ちとなり、六助はお園と祝言をあげる。

私のツボ

色悪・京極内匠

お園同様、「毛谷村」だけの場合、いかんせん登場時間が短いので、
微塵弾正実は京極内匠が”嫌な奴”で、”お園たちの敵”ということはわかりますが
どのような人間で、なぜ敵になったのか、が今ひとつ分からないので存在感は薄いです。
お園のクドキでいかに京極内匠がひどい人間か語られますが、それではやはり印象は弱い。

歌舞伎の敵役にもタイプがあり、大物から小物まで、さまざまです。
国家転覆などを企む権力志向、守銭奴、サイコパス、ただの悪党、
チンピラ、運悪く巻き込まれてしまったケースなどなど。

京極内匠はやや色悪寄りのただの悪党で、
藩お抱えの剣術指南役を務めていたことからそれなりに協調性もあり、
社交もでき、計算高い。

プライドの高さから一味斎を殺害してしまいますが、
武士の矜持は持ち合わせていないので人をすぐ殺め、
あまつさえ六助を騙して八百長試合を依頼します。
老婆を連れて一芝居うつところなど、知恵も回るし演技派です。
そしてまんまと安定した職と地位を手に入れてしまう。

世渡り上手の悪人といったところで、個人的には人間くさくて大好きです。
悔悛や反省と程遠いところで生きているような京極内匠ですが、
サイコパスというほどのご大層なものでもなければ、
彼自身に闇の深さや翳りもなく、単なる悪どい奴です。
歌舞伎に限らず、悪役が悪い奴であればあるほど物語は面白いというもので、
六助とあらゆる点で真逆の人物として描かれています。

京極が明智光秀の落胤というのは驚きの設定ではありますが、
高貴な出自も血統も彼の行動原理にほとんど影響しません。
明智家の悲願だろうが宿業だろうが、
自分の現世利益を優先するタイプに感じられます。
つまり、それだけもう京極内匠のキャラクターが出来上がっているということでしょう。

滅多に通しでかからない演目なので、
なかなか京極内匠の魅力が発揮されないのが惜しまれます。

「杉坂墓所」だけでなく、「瓢箪棚」もたまに上演してほしいところです。

杉坂墓所の演出

今回、「杉坂墓所」を描くにあたっていろいろ資料をひっくり返し、
そこで目についた劇評が「弾正は老婆を背負って登場すべき」というもの。
私が過去に観劇した際は、老婆と一緒に登場し、木の切り株に座らせ、
弾正が六助とやりとりを始める、といったような流れだったと記憶しています。
その流れに特に違和感を感じなかったのと、劇評は読んだり読まなかったりなので、
今更ながら、おんぶバージョンもあったことを知りました。

曰く、武士が老婆を背負って山道を歩く姿に六助は心を動かされ、
その感銘は武士としてあるまじき八百長を引き受けるほどであった、とのこと。
一緒に歩くだけではインパクトが弱いということのようです。

一理あるとは言えますし、型を大切にする姿勢も理解はできますが、
一観客としては、別にこだわらなくても良いのではと思ってしまうのでした。
それよりも俳優が転んで怪我でもされたら大変なので、今後もおんぶは無しで良いよ、とも思います。

せっかくなので、おんぶバージョンにしました。

コメント