AKPC53 「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」⑦「五郎蔵内腹切の場」

もうひとつ

描かれている人物

左上:御所五郎蔵
右上:皐月
下:(左から)皐月、御所五郎蔵

絵の解説

左:皐月からの手紙を読み、真実を知って驚愕する五郎蔵
右:廓から抜け出してきた皐月

逢州への手向にと、瀕死ながらも胡弓と尺八を奏でる二人
※舞台ではもっと二人は離れており、間に逢州の首が置かれています。
古いブロマイド(大正9年4月市村座)を参考にしました。

あらすじ

主な登場人物と簡単な説明

・御所五郎蔵(ごしょのごろぞう)
京都の男伊達(侠客)。
皐月に愛想づかしをされ激怒、
皐月と間違えて逢州を殺害してしまう。

・皐月(さつき)
五郎蔵の妻。傾城。
金を工面するため、五郎蔵に偽りの愛想づかしをする。

他、五郎蔵の子分などがいます。

あらすじ

五郎蔵内腹切の場
翌日、五郎蔵の自宅に子分たちがやってきて、
逢州が夜更けに廓内で殺されたと騒いでいる。
逢州の禿から預かったという五郎蔵宛ての手紙を渡す。

五郎蔵は子分たちを追い返し、
皐月の首を弔おうと取り出してみると、それは逢州の首であった。

慌てて預かった手紙を開くと、皐月からの手紙であった。
金のための偽りの愛想づかしだったこと、
とはいえ申し訳ないので自害すると書かれてあった。

五郎蔵は責任をとって自害しようと遺書を書いていると、
廓を抜け出した皐月が訪ねてくる。
五郎蔵は皐月に迷惑がかからないよう、わざと冷たく追い返す。

皐月は戸外で剃刀で胸をつき、戸を打ち破って中に入ると、
五郎蔵は腹を刺していた。

皐月は胡弓を弾き、五郎蔵は尺八を奏で、逢州への手向とし、
二人は息絶える。

私のツボ

ダレ場

ほとんど上演されない場面ですが、
その理由が瀕死の状態なのに楽器を演奏するのはおかしいというもの。

ただ、瀕死の傷を負ってから絶命するまで長いのは歌舞伎のお約束で、
むしろ腹を切ってからがピークともいえます。
代表的なのは「忠臣蔵」の勘平、「すし屋」の権太。
それを思えば違和感はないのですが、さすがに苦しげに尺八を吹くのは無理があり、
悲しい場面なのにやや滑稽に見えてしまい、反応に困るというものです。

”ダレ場”とも呼ばれる歌舞伎独特の場面で、
前述の場面だけでなく、「先代萩」の”飯炊き”など、
間合いの長い場面も含まれると私は認識していますが、
ダレ場の定義、その歌舞伎らしさと必然性については専門家に譲ります。

私は歌舞伎を見始めたころ、このダレ場との付き合い方が分からなくて、
つい眠ってしまうことが多く、ガクンと首が落ちて目がさめるということが何度もありました。
隣の席の人に「寝てたな」と知られるのが恥ずかしく、
眠らないように舞台美術や衣装などに目を凝らすようになりました。

やがて、それにも疲れ、観念して身を委ねることにすると、
不思議とこの何ともいえない間あるいはタメがクセになったのでした。
つい船を漕いでしまう時もありますが、それも含めてよしとします。

このリズムがあるような無いような、
独特の間合いこそが私が考える歌舞伎の魅力だと思います。
雅楽のテンポというか、
歌舞伎は西洋音楽には無い独特のリズムで構成されていて、
西洋音楽のテンポに慣れた現代人には馴染みのない変拍子。
江戸時代の人には違和感のないテンポだったのかもしれません。
だからこそ新鮮で、斬新で面白い。
と、私は思っています。

先述した尺八を演奏するという演出も、「続続歌舞伎年代記」によれば
ほぼ内輪ノリで盛り込まれたのが実情ですが、
その古典芸能という重々しいカテゴリと相反するような軽さもまた歌舞伎の魅力だと思っております。
結局は芸事として昇華できなかったというオチもまた面白い。

ちなみに瀕死の二人が胡弓と尺八を演奏する場面は、種本「浅間嶺面影草子」に出てくるので、
柳亭種彦が発案者です。
それを黙阿弥が採用しました。

というわけで、”ダレ”に敬意を表し、
胡弓と尺八を演奏する二人の大詰の場面を描きました。

おまけ:原作の設定

原作では、五郎蔵の実母・お杉が登場し、五郎蔵と一緒に住んでいます。
お杉は武士の妻でしたが、五郎蔵を産んだ後、出奔。
流れ流れて遊郭で遣手婆をしていたところ、五郎蔵と再会して同居します。

お杉が流浪中、新しい男と馴染んで女の子を出産。
旅先の淀の船内で取り違えて違う女の子を連れ帰ってしまいます。
挙句、その子供をいじめて追い出します。
その子供こそ時鳥で、逢州(本名:忘貝)の妹として育った宿居虫(やどかり)がお杉の娘です。
やがてお杉は過去を反省し、心を入れ替えて善人となります。

この場面の後に「若宮八幡祭礼仇討の場」という10分たらずの短い場面がついて、
宿居虫(お杉の実の娘)が星影土右衛門を討って養父・団の一斎の敵を討って大団円となります。

ここまで綺麗に人間関係が繋がると、逆にややこしくなります。
お杉は初演の1864年以降は確認できず、
仇討ちの場面は1967年の国立劇場を最後に上演されていません。

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