AKPC47 「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」①「名取川見染の場」「長福寺門前の場」

もうひとつ

描かれている人物

上段:(左から)おすて、浅間巴之丞
下段左:時鳥
同 右:(左から)猿島弥九郎、百合の方

絵の解説

「はて、あでやかな」
おすてを見染める巴之丞

原画

左:巴之丞の愛妾時鳥となったおすて。顔が崩れる病に苦しんでいる。手にしているのは観音経。
顔のただれは後で加筆しました。
右:医師鈍玄を斬り捨てた百合の方と、刀についた血糊を拭う猿島
時鳥の啼き声が聞こえ、悲願成就は近いとほくそ笑む百合の方。

原画

背景の慶雲(大名屋敷の襖模様などによく使われる)

あらすじ

主な登場人物と簡単な説明

・時鳥(ほととぎす)
元の名はおすて。家族とは幼い頃に生き別れ天涯孤独の身。
暴漢に襲われたところを巴之丞に助けられ、愛妾となる。
巴之丞が京都に転勤になると、顔に悪瘡ができる病にかかってしまう。

・浅間巴之丞(あさまともえのじょう)
奥州陸奥国の領主。
時鳥を側室として抱えて寵愛するが、勤番のため京都に単身赴任となる。

・百合の方(ゆりのかた)
巴之丞の正室・撫子の母。
巴之丞の留守の間、浅間家を預かっている。
時鳥が疎ましく、医師鈍玄に命じて毒を盛らせる。

・猿島弥九郎(さるしまやくろう)
百合の方の家臣。悪人だが百合の方には敵わない。

他、医師鈍玄、撫子などがいます。

あらすじ

名取川見染め
奥州名取川のほとり。
狩に来ていた浅間巴之丞は、雲助(くもすけ:住所不定の無頼漢)たちに襲われている巡礼の娘を助ける。
娘の名はおすて。
聞けば、天涯孤独の身の上で、幼い頃に生き別れた両親を探して諸国巡礼しているという。
巴之丞はおすてを屋敷に連れ帰り、時鳥と名付けて愛妾とする。

長福寺門前
時鳥は愛妾として幸せな日々を送っていたが、巴之丞が勤番のため上洛する。
巴之丞の正室・撫子の母・百合の方は、我が娘可愛さと浅間家乗っ取りの野望から、医師・鈍玄に毒薬を調合させ時鳥に飲ませる。
時鳥は毒薬のせいで容貌が崩れ、体調不良に苦しんでいた。

ところ変わって北上川ほとりの長福寺。
巴之丞の母・遠山尼(えんざんに)の一周忌法要が執り行われており、
百合の方と撫子も揃って参詣していた。
その門前にて、毒薬を調合した鈍玄は、褒美の百両を百合の方の家臣・猿島に催促する。
そこへ百合の方が現れて、鈍玄を刺し殺す。
ニタリと笑って刀を差し出し、猿島に血糊を拭かせる百合の方。
あくどい猿島も、百合の方の図太さに手が震えるのだった。

その晩、自室で経文を読む時鳥の元へ、鈍玄の幽霊が現れる。
鈍玄は、事の次第を説明し、治療薬を置いて姿を消す。
時鳥が仏壇に供えてあった水で治療薬を飲むと、たちどころに悪瘡(あくそう)が快癒する。

私のツボ

前置き

「曽我綉侠御所染」といえば「五條坂仲之町の場」がよく知られています。
両花道で男伊達が子分を引き連れて登場、舞台中央で揉めて茶屋の女が仲裁に入る。
この場面はかぶきねこづくしでも描いています。
この後、場面が展開して「縁切り」「殺し」と続きます。

舞台美術や見得の構図が似ているせいか、私はよく「鞘当」と混同してしまいます。
かたや京都の五条、かたや江戸の吉原と、地域はもちろん衣装も役柄も違います。
そもそも河竹黙阿弥と鶴屋南北と作者も違うのですが、なぜかこの二演目だけは混同してしまうことが多いです。

今回、12月の南座で「御所五郎蔵」がかかるので、頭の整理を兼ねて通しで「曽我綉侠御所染」を描くことにしました。

願わくは、そのうち「時鳥殺し」がかかりますように。

かぶきねこづくし版通し狂言の構成

「曽我綉侠御所染」は、大まかに前半の「時鳥殺し」と後半の「御所五郎蔵」に分けられます。
近年はもっぱら「御所五郎蔵」のみの上演が多く、「時鳥殺し」を含めての上演は過去4回※註1(戦後)のみです。
通し狂言の場合、その都度適宜、脚本家によって補綴(ほてつ)されるので、内容が若干異なることが多いです。
大筋に影響がない程度に場面が省略されたり、加筆されたりします。

過去4回の上演のうち、一番上演時間が長かったのが1967年12月の国立劇場で、6幕13場、4時間半の長丁場でした。
ほぼ原作フル・バージョン。補綴・監修は加賀山直三。
1984年10月国立劇場、1987年3月歌舞伎座での上演は、スリム化して3幕8場。補綴・監修は郡司正勝。
廓内夜更けで幕。
2003年6月歌舞伎座は3幕7場。五郎蔵内腹切で幕。

かぶきねこづくし版通し狂言「曽我綉侠御所染」では、1984年と1987年と2003年をミックスした内容にしました。
2003年版に「逢州座敷」を加えた構成です。

五郎蔵と皐月の過去、逢州の過去、五郎蔵と皐月がその後どうなったのか、を軸に構成しました。
郡司版(1984年、1987年)は、「名取川見染めの場」はなく、「奥州北上川の場」が序幕になります。
すでに時鳥は愛称となっており巴之丞は京都に勤番で不在、という状況から物語が始まります。

時鳥と巴之丞の出会いを描きたかったのと、
時鳥と逢州の因縁の伏線ともなるので序幕は「名取川見染めの場」にしました。

かぶきねこづくしは、商品化する・しないに関わらず、常にポストカードの縦横比率で描いています。
一枚につき一場面と、なるべく場面を跨がない構図にしていますが、
通しで描く場合は場面を跨ぐ構図になることがあります。
今回は、時鳥を主とした構図なので、
「名取川見染め」と「長福寺門前」の二場面が盛り込まれています。

※註1:1949年6月に新橋演舞場で「時鳥侠客御所染(ほととぎすたてしのごしょぞめ)」というタイトルで「時鳥殺し」「御所五郎蔵」が上演されています。内容はほぼ同じようですが詳細を確認できなかったのでカウントしていません。

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