AKPC43 『摂州合邦辻』①「住吉社参の段」

かぶきねこづくし


赤枠上段:俊徳丸、玉手御前
同 中段:浅香姫
同 下段:奴入平(後方)と兄・次郎丸(手前)

絵の解説

俊徳丸と玉手御前。
この後に続く悲劇の発端の瞬間。
毒酒とは知らず飲もうとする俊徳丸と、それを見守る玉手。

原画

左:浅香姫
右:奴入平(後方)と兄・次郎丸(手前)

原画

背景
住吉大社。鳥居の隣の建造物は木製の灯台。

原画

あらすじ

主な登場人物と簡単な説明

・玉手御前(たまてごぜん)
高安左衛門通俊の後妻で現在の正室。
元は先の正室(俊徳丸の母)に仕える腰元だった。

・俊徳丸(しゅんとくまる)
高安左衛門通俊の息子。美青年。
腹違いの兄・次郎丸がいるが、長男として扱われている。
許嫁は浅香姫。

・次郎丸(じろうまる)
高安左衛門通俊の長男だが、母が側室のため、次男として扱われており相続権がない。
俊徳丸を陥れ、家督と浅香姫を奪おうとしている。

・浅香姫(あさかひめ)
河内の隣村の陰山長者(かげやまちょうじゃ)の娘。俊徳丸の許嫁。

・奴入平(やっこいりへい)
浅香姫の家臣。

・高安左衛門通俊(たかやすさえもんみちとし)
河内の城主。高齢で闘病中。

あらすじ

高安左衛門通俊の妻・玉手御前と俊徳丸は、通俊の病気平癒祈願に住吉大社を訪れていた。

俊徳丸が参道で一人で休んでいると、村娘に扮した浅香姫が忍んで会いに来る。
婚儀が延期になっていることを不安に思ってのことであった。
通俊の病状が良くなるまで待ってほしいと姫を慰める俊徳丸。
玉手御前が腰元らと戻ったので浅香姫は身を隠す。

玉手御前は俊徳丸に鮑の貝殻の盃で御神酒を勧める。
俊徳丸が飲み干すと、玉手は愛を告白する。
驚いた俊徳丸は涙ながらに拒絶、しつこく抱きつく玉手を振りほどいて逃げる。

奴入平が浅香姫を迎えに来る。
そこへ次郎丸が現れて、姫を無理に連れ去ろうとする。
入平は次郎丸を追い払う。

私のツボ

合邦辻の通し

かぶきねこづくしシリーズは2012年から毎月、
歌舞伎座でかかる演目にちなんで描き続けてこれまで200デザイン以上を描いてきましたが、
タイミングが合わず描けなかった演目がいくつかあります。
「摂州合邦辻」もその一つ。
今月、歌舞伎座でかかっているので、”もうひとつのかぶきねこづくしシリーズ”で描くことにしました。

どうせなら通し狂言にしてしまおう、ということで全4回にわたってお送りします。

「摂州合邦辻」の通し狂言は、戦後5回上演されています。
直近は2010年12月の日生劇場です。

実際に私がみた舞台は2010年12月の公演のみ。
2007年11月の国立劇場での公演は、数年前に国立劇場の視聴覚室でビデオ視聴しました。
どちらも完全に観客モードで観ていたので、断片的にしか覚えていないのですが、
それらの記憶と、1968年6月、1974年3月の公演(いずれも国立劇場での通し狂言)の資料を参考にしました。

衣装や演出は家ごとに若干異なり、また公演によっても異なりますが、
総じて音羽屋を基準にしています。

「合邦庵室」のみの上演が多く、玉手御前は俊徳丸を愛していたのかどうか、
が争点になりやすい演目ですが、
通しで物語全体を見てみると、
家督問題が絡んだりと歌舞伎のお約束も多く、
戯作者の職人技からこぼれた予期せぬ副産物のような気もします。
ただ、それだけ様々な考察ができうる名作とも言えるでしょう。

寺山修司の「身毒丸」

10代の頃、寺山修司が大好きでした。
グラフィック・デザイナーになりたいと思ったきっかけも
粟津潔と横尾忠則の天井桟敷のポスターで、
映画に舞台に書籍に短歌に、
すでに寺山修司亡き後でしたが、
寺山修司とその周辺の世界観や美意識は当時高校生であった私の脳髄にガツンと大きな衝撃を与えたのでした。

『身毒丸』も大好きな作品で、
天井桟敷のオリジナル舞台はビデオでしか観ることができませんでしたが、
VHSのざらついた画質がこれまた良い味わいになっていたように思います。

『身毒丸』と同じネタ元の作品が歌舞伎にもあることは知っていましたが、
当時は歌舞伎にまったく興味がなかったので深掘りはせず、
やがて寺山ブームは収束し、すっかり忘却の彼方になった頃に見たのが「摂州合邦辻」。

俊徳丸はどこかで聞いたことがある名前だなぁ、、、。
「あなたはしんとく」
ここで身毒丸が思い出され、
歌舞伎と寺山修司がクロスオーバーするのでした。

このブログで何度も書いていることですが、自分の好きなもの、
とうてい交わることがないであろうジャンルや毛色の異なるものが
繋がるとちょっとした感動を覚えます。
自分の”好み”を解体するようで楽しい。

歌舞伎は古典芸能なので、
日本の文化は新旧問わず、
ほぼ確実に何かしら歌舞伎に繋がるのは当然なのですが、
それを体感するのは楽しいものです。
デジャヴのような感覚。

たぶん、今『身毒丸』を見たら胸焼けしてしまうと思うので、
歌舞伎の舞台を見ながら記憶の彼方で再生するのが今の私にはちょうど良いようです。

にはかに両目 つぶれたり
あゝいたはしや しんとく丸 癩病患者となりたまひ

『説経節のための見世物オペラ 身毒丸』(寺山修司+岸田理生)より

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