描かれている人物
AKPC22
赤丸枠:蝶の差し金を持つ後見
赤枠中段:安倍保名
赤枠下段:奴
絵の解説
〽恋よ恋 われ中空になすな恋
昔ながらの演出の「保名」。
蝶の差し金を持った後見と、四人の奴が登場します。
舞台美術は上手に朱塗りの鳥居、正面に低い土手、下手に桜の古木があります。
保名の衣装は病鉢巻に紫のグラデーションの長袴に水色の着付。
小袖は淡い鴇色(ときいろ)と黒の2パターンあり、役者に拠ります。
どちらも露草模様。
歌舞伎では、露草模様の着物を着ている人物は絶世の美男子という暗黙の了解があります。
淡いピンクと水色と紫の組み合わせは「ひらかな盛衰記」の梶原源太、「十種香」の勝頼も同様で(違う場合もあります)優男の象徴。
あらすじ
「芦屋道満大内鑑」二段目
主な登場人物と簡単な説明
・安倍保名(あべのやすな)
天文博士加茂保憲の門人。保憲の養女・榊の前は許嫁。
安倍晴明の父。
あらすじ
安部保名が恋人榊の前の死を悲しんで狂乱する「小袖物狂ひの段」を舞踊に仕立てた作品。
保名の恋人・榊の前(さかきのまえ)は、継母に無実の罪を着せられ、身の潔白を証明するために、保名の目の前で自害する。
そのショックで保名は気がふれ、榊の前の幻影を追いかけて今日も春の野辺をさまよっている。
形見の小袖を身に着けて、哀しみに伏し沈む。
〽葉越しの葉越しの幕の内
その後の保名
「葛の葉」
AKPC02 蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)〜葛の葉(くずのは)
私のツボ
変調あるいは変化球
六代目菊五郎(以下、六代目)考案のお馴染みの演出ではなく、古式ゆかしい「保名」。
現行の演出(六代目考案の演出)でも蝶を持った後見が出る場合もありますが、奴は登場しません。
奴は二人と四人の場合があります。
終盤近くに奴が登場して所作ダテで保名に絡みます。
この演出の「保名」は一度しか観たことがありませんが、
なんだか不思議な味わいで逆に記憶に残っています。
その不思議な味わいを醸し出すのは奴たち。
奴が出てくるのは観客を飽きさせないための当時(19世紀)のお約束だったのかなと推察します。
が、現代人の感覚からすると奴の登場が唐突な印象は否めない。
しっとりした雰囲気を一変させ、というよりぶち壊して舞台が派手なムードになります。
この唐突な変調こそ歌舞伎の面白さでクセになります。
六代目の演出はとても現代的で、
”愛する者の幻影を追いかける青年の悲しさ”
という普遍的なテーマに仕立てたからこそ今も受け継がれているのですが、
こういった古典ならではの変化球を味わうのも楽しいです。
歌舞伎は自分では発想できないセンス、意表をつかれることが多くて、
でもそれは作為的な、計算されたものではなく、江戸時代人と現代人のセンスのズレによるもの。
そのズレを体感できるのが歌舞伎の楽しさの一つだと私は思っています。
「半獣神の午後」
「保名」を観るといつもつられて思い出されるのがマラルメの「半獣神の午後」。
半獣神(パン)が美しいニンフを追いかける森。
ニジンスキーの「牧神の午後」はセクシュアルで直截的ですし、
そもそも季節は春ではなく夏なので似ているとは言い難いですが、
それは瑣末なことで、流れる空気や詩情はとても近い。
夢か現か幻か、花の香り、草いきれ、太陽の光、愛する人の幻影。
保名が迷い込んだ森は実在するのか、彼の夢の世界なのか。
その森には人間界にはいない異形のものたちが住んでいて、
人外魔境の森に国境はなく、保名がさまよう野辺はマラルメが詩に書いたニンフやパンが棲む森と繋がっている。
彼岸と此岸の境目。
保名が森に迷い込んだのではなく、森が保名を呼んだのかもしれない。
その森で、のちに夫婦となる白狐に魅入られたのかもしれない。
保名に絡む奴たちは森に住む精霊でしょうか。
あちら側に足を踏み入れてしまった保名。
そんなイメージの広がりと余韻を残す演目です。
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