AKPC17, 18 助六〜男伊達

もうひとつ

描かれている人物

AKPC17
左から:石浜波七、砂利場石造、竹門虎蔵、田浦富松、山谷弥吉

AKPC18
左から:山谷弥吉、田浦富松、竹門虎蔵、砂利場石造、石浜波七

絵の解説

傾城白玉と意休の出、花道。
意休の荷物を持つ男伊達。
「髭の意休の子分でごんす」

原画

舞台上手の長椅子に座る男伊達

原画

あらすじ

主な登場人物と簡単な説明

髭の意休の子分たち。
花道の出で手にしているもの。

・石浜波七(いしばまなみしち)
香炉と香炉台

・砂利場石造(じゃりばいしぞう)
脇息

・竹門虎蔵(たけかどとらぞう)
刀掛

・田浦富松(たうらとみまつ)
煙草盆

・山谷弥吉(やまたにやきち)

あらすじ

吉原仲之町、三浦屋の格子先。

吉原一の人気花魁揚巻(あげまき)の元へは髭の意休が子分をつれて通ってきます。


助六の喧嘩沙汰を心配した母満江と白酒売りになった兄の十郎は、揚巻のところへ意見を頼みに来て、助六の真意を知ります。
助六があちこちで喧嘩を起こすのは、刀を詮議するためなのでした。

意休は助六の本心を見透かし、兄弟団結して親の敵を討てと意見をし、香炉台を切って見せます。
その刀こそ友切丸で、意休こそ伊賀の平内左衛門という盗賊だったのです。
はやる助六を、揚巻は意休の帰り際を待つようなだめるのでした。


ーー幕ーー

この後、水入りの場がつく場合があります。

意休を討った助六は、揚巻の気転で、刀を持って吉原を抜け出します。

私のツボ

意休の子分たち

揃いの着物でビシッと決めた二枚目の若衆五人組。
立場は子分や若衆ですが、肩書きの正式名称は男伊達です。
筋書きなどには男伊達石浜波七などと記載されています。

ここでいう男伊達とは、色男や洒落男という意味です。
ご大尽が伊達男たちを引き連れて吉原を闊歩する、というような意味。
助六も男伊達と称されますが、こちらの男伊達は役柄のカテゴリーで”侠気や正義感のある男”といった精神的な意味合いを含みます。

演目の主役クラスは目立つので戯作者もそれなりに気を使った名前になりますが、
脇役となると遊び心が出るのか、あるいは手を抜くのか、無意識に当時のセンスが反映されるようで面白いです。

砂利場石造は石尽くしの名前かもしれないし、
広重の名所江戸百景「第116景 高田姿見のはし俤の橋砂利場」にちなんだなのかもしれないし、
吉原へ行く道筋をかけているのかもしれない(註1)。
竹門虎蔵にせよ山谷弥吉にせよ、当時多かった名前かもしれないし、ふと知り合った人の名前かもしれない。

名前がふと閃いたきっかけが何かあったはずで、それを想像するのも楽しい。

当時の作者に聞くことはできないので、その時代の世相などから推察するのも古典の楽しみ方の一つだと私は思っています。

男伊達5人組は、意休と出てきて、意休と一緒に三浦屋に引っ込みます。
舞台の滞在時間は短く、セリフも少ないですが、その存在感は大きい。
助六に朝顔仙平にくわんぺら門兵衛と、落ち着きのない人々が騒ぎを繰り広げる中で、ピシッと背筋を伸ばして居並ぶ男伊達は舞台の空気を引き締めてくれます。

男伊達の衣装は、助六役者の家の柄になります。
成田屋さんは”かまわぬ”、音羽屋さんは”斧琴菊よきこときく”など。

註1:浅草田町一丁目(現在の台東区浅草5丁目付近)。江戸城本丸天守台造築の際に砂利を採ったことから砂利場と呼ばれる。
吉原への道筋だった。

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