KNPC128「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」より「熊谷陣屋(くまがいじんや)」

かぶきねこづくし

描かれている人物


左上:藤の方
左下:相模
中央:熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)
右上:義経
右下:弥陀六(みだろく)

(左から)相模、熊谷直実、源義経、弥陀六、藤の方

絵の解説


(左から)相模、熊谷直実、源義経、弥陀六、藤の方(原画)

熊谷は断髪し、相模と共に出家する。
弥陀六が背負う鎧櫃(よろいびつ)には敦盛が隠れており、藤の方と共に出立する。
この構図のまま、”ひっぱりの見得”で幕。

基本的に猫たちの髪は描かないのですが、
芝翫型の特徴である断髪を描くために珍しく全員髪の毛があります。

あらすじ

本外題 「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」三段目

主な登場人物と簡単な説明

・熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)
当時武蔵国熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)出身の武将。
かつて北面の武士として御所の護衛についていた時、相模と深い仲になる。
不義密通で死罪になるところを、後白河院の寵姫であった藤の方の温情により助けられる。

・源義経(みなもとのよしつね)
源平の合戦で実際に源氏方を指揮。源氏の総大将は兄の頼朝。

・相模(さがみ)
熊谷直実の妻。元は藤の方に仕えていた。

・藤の方(ふじのかた)
平敦盛の母。

・梶原平次景高(かじわらへいじかげたか)
源氏方の有力な武将。

・弥陀六 実は 弥平兵衛宗清(みだろく じつは やひょうびょうえむねきよ)
もと平家の武将。
かつて常盤御前と三人の幼子(そのうちの一人がのちの義経)の命を救いました。
平重盛の命により弥陀六と名乗って石屋に身をやつし、重盛の娘を匿っている。
眉間のほくろが特徴。

あらすじ

一谷の熊谷直実の陣屋。
陣屋の脇に植えてある満開の桜を百姓たちが愛でている。

その陣屋を息子を案じる相模が訪ねて来る。
そこへ「姿を隠してくだされ」と藤の方が駆け込んでくる。
相模と藤の方は16年ぶりの再会を喜び陣屋へと入る。
ーーここまで「熊谷桜の段」上演がカットされる場合もありますーー

熊谷が陣屋に戻る。
東国にいるはずの相模を見て叱りつけ、小次郎初陣の合戦で敦盛を討ったと話す。
涙にくれる藤の方が供養にと、敦盛の形見の笛を吹くと、障子に敦盛の影が現れる。
しかし、それは鎧の影だった。

義経が現れ、敦盛の首実検が行われる。
熊谷が首桶を開けると、それは敦盛ではなく小次郎の首。

半狂乱になって駆け寄る相模と、やはり驚いて駆け寄る藤の方。
二人を制札で制しながら首を差し出す熊谷。
義経は小次郎の首を見て「この首は敦盛の首に相違ない」と断言。

義経は「一枝を伐らば、一指を剪るべし」の制札に事寄せて、
皇統に連なる身分の敦盛の命を救えと熊谷に命じていた。

義経が敦盛を助けたと知った梶原景時は、
鎌倉の頼朝に注進しようするが、石屋の弥陀六に殺される。
眉間のほくろから、義経は弥陀六の正体を見抜き、藤の方と鎧櫃に隠した本物の敦盛を託す。

無常を感じた熊谷は出家の意志を明らかにし、義経に暇乞いの許しをもらう。
蓮生と名を改めた熊谷は髪を下ろし、相模と共に仏の道へ行くのだった。

私のツボ

團十郎型と芝翫型

熊谷陣屋」は二つの型があります。
KNPC65、144は團十郎型、
KNPC127、128は芝翫型です。

大きな違いは
・制札の見得での札の向きと熊谷の衣装
・幕切
の2点です。

ここでは幕切について書きます。

熊谷は髪を切り、相模と連れ立って陣屋を去ります。
ここも浄瑠璃と同じ演出です。
義経に切った髪を預けるところに熊谷の覚悟、
そして男と男の魂の交歓とでもいいましょうか、
個人的にはグッと胸にくる瞬間です。

幕切は”引っ張りの見得”で、團十郎型の花道の出はありません。
”引っ張りの見得”は”絵面(えめん)の見得”とも呼ばれ、
登場人物がそれぞれセリフをかけあったのち、
静止して均整のとれた構図をとります。
『寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)』や「寺子屋」などがあります。

”引っ張りの見得”か”幕外の引込み(まくそとのひっこみ)”か、
好みが分かれるところですが、私はやはり送り三重が好きです。

芝翫型の幕切であれば、相模は置いてきぼりですか? との不満は解消されますが、そこはそれ、演劇です。
悲劇です。
やはり「熊谷陣屋」は熊谷の悲痛な姿でやり切れなさに悶えたいです。

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