KNPC127「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」より「熊谷陣屋(くまがいじんや)」

かぶきねこづくし

描かれている人物

熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)

絵の解説

芝翫型の制札の見得(原画)

芝翫型の制札の見得

あらすじ

本外題 「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)」三段目

主な登場人物と簡単な説明

・熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)
当時武蔵国熊谷郷(現在の埼玉県熊谷市)出身の武将。
かつて北面の武士として御所の護衛についていた時、相模と深い仲になる。
不義密通で死罪になるところを、後白河院の寵姫であった藤の方の温情により助けられる。

・源義経(みなもとのよしつね)
源平の合戦で実際に源氏方を指揮。源氏の総大将は兄の頼朝。

・相模(さがみ)
熊谷直実の妻。元は藤の方に仕えていた。

・藤の方(ふじのかた)
平敦盛の母。

あらすじ

一谷の熊谷直実の陣屋。
陣屋の脇に植えてある満開の桜を百姓たちが愛でている。

その陣屋を息子を案じる相模が訪ねて来る。
そこへ「姿を隠してくだされ」と藤の方が駆け込んでくる。
相模と藤の方は16年ぶりの再会を喜び陣屋へと入る。
ーーここまで「熊谷桜の段」上演がカットされる場合もありますーー

熊谷が陣屋に戻る。
東国にいるはずの相模を見て叱りつけ、小次郎初陣の合戦で敦盛を討ったと話す。
涙にくれる藤の方が供養にと、敦盛の形見の笛を吹くと、障子に敦盛の影が現れる。
しかし、それは鎧の影だった。

義経が現れ、敦盛の首実検が行われる。
熊谷が首桶を開けると、それは敦盛ではなく小次郎の首。

半狂乱になって駆け寄る相模と、やはり驚いて駆け寄る藤の方。
二人を制札で制しながら首を差し出す熊谷。
義経は小次郎の首を見て「この首は敦盛の首に相違ない」と断言。

義経は「一枝を伐らば、一指を剪るべし」の制札に事寄せて、
皇統に連なる身分の敦盛の命を救えと熊谷に命じていた。

義経が敦盛を助けたと知った梶原景時は、
鎌倉の頼朝に注進しようするが、石屋の弥陀六に殺される。
眉間のほくろから、義経は弥陀六の正体を見抜き、藤の方と鎧櫃に隠した本物の敦盛を託す。

無常を感じた熊谷は出家の意志を明らかにし、義経に暇乞いの許しをもらう。
蓮生と名を改めた熊谷は髪を下ろし、相模と共に仏の道へ行くのだった。

私のツボ

團十郎型と芝翫型

熊谷陣屋」は二つの型があります。
KNPC65、144は團十郎型、
KNPC127、128は芝翫型です。

大きな違いは
・熊谷の衣装と隈取り
・制札の見得での札の向き
・幕切
の三点です。

このカードは制札の見得の違いを描きました。
芝翫型では、團十郎型と違って制札は真っ直ぐ、文言が読めるように持ちます。
この演出の違いが何を意味するかは専門家の見解にお任せするとして、私個人としてはとても時代物の歌舞伎らしいとの印象を受けます。
制札を真っ直ぐ、きっちり持っての見得。
水戸黄門さながら「この制札が目に入らぬか」と言わぬばかりの自信が見られます。
そこに熊谷の繊細な心情は挟まない演出ではないかと思います。
團十郎型の熊谷は人間味があり、芝翫型の熊谷は武将の強さが前面に押し出されていると感じます。
その良し悪しを云々するつもりはもちろんありません。
芝翫型の制札の見得は均衡が取れて美しく、また違った熊谷の味わいがあります。

芝翫型は原作の浄瑠璃に近いのが特徴です。
衣装は赤地錦織物の裃(かみしも)で、黒本天(ビロード)の着付です。
顔には隈を取り、赤っつらのような化粧です。

原作の浄瑠璃に近い演出で古風な時代物といった印象を受けます。
赤っつらなので猛々しい武将といった佇まいです。

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