絵の解説
博多の三大祭(どんたく・山笠・放生会)の一つ、博多祇園山笠。
眼目はなんと言っても7月15日の早朝に行われる追い山笠。
山笠の正面に鎮座するのは歌舞伎「毛剃」の毛剃九右衛門。
博多祇園山笠の起源は、鎌倉時代に聖一国師が疫病退散のために人々が担ぐ施餓鬼棚に乗って水を撒いたことが起源とされています。
この聖一国師、中国から茶の種子や麺類、陶芸、人形などの技術を持ち帰り、それらを日本で広めました。
水車を利用した製粉機械の構造図を持ち帰り、その実用に努めました。
その製粉技術のおかげで、うどん・蕎麦・饅頭などの粉物食文化が全国に広まったと言われています。
福岡といえば博多ラーメンにうどん。
博多祇園山笠にことよせて、聖一国師をフィーチャーする構成にしました。
緋毛氈に腰掛けてお茶を飲んでいるのが聖一国師。
祇園祭
祇園祭といえば京都が有名で、山鉾巡礼は多くの観光客で賑わいます。
博多の祇園山笠の他にも、全国で祇園祭が開催されます。
もともと祇園祭は八坂神社の神事で、素戔嗚尊(すさのおのみこと)・牛頭天王(ごずてんのう)に奉納される祭りです。
八坂神社の分社が日本全国に約三千社あると言われており(八坂神社の公式HPより)、それらの神社で行われる神社は全て祇園祭と呼ばれます。
およそ1,100年前に疫病退散の祈祷として始まったと言われる祇園祭。
疫病退散は命に直結する切実な願いですから、全国に広まったというわけです。
と、蘊蓄を書き連ねましたが、京都の優雅な祇園祭に対して、博多祇園山笠の激しいこと。
山笠は観賞用の飾り山笠と、法被姿の男たちが担いで走る舁山(かきやま)の2種類あります。
飾り山笠は約15mもある大きな山笠で、もともとこれと同じくらいの高さの山笠を舁山としていました。
明治時代に近代化とともに電線が市中に架設されたために、背の低い舁山が誕生しました。
そして現在に至ります。
ここで面白いのが、もともとは施餓鬼棚から始まった山笠がどんどん背が高くなっていったこと。
明治時代の博多祇園山笠の古写真を見ると、九龍城のような山笠で、とにかくデコラティブで大きくて、素人目にもこれは危険だろうとわかります。
電線に引っかかる以前の問題というか、盛り過ぎにも程がある。
山笠の高さ制限が設けられたのち、巨大な山笠は無くなるどころか観賞用として存続したことも興味深いです。
さらに舁山が軽量化したことによってスピードを競うようになりました。
博多っ子は激しい祭が好きなのか、この極端に突っ走ってしまう性分、大好きです。
それなのに博多のうどんはコシがなくて柔らかくて、剛柔あわせ持つ土地柄のようです。
毛剃九右衛門
博多祇園山笠に限らず、祭の山車には戦国武将や弁慶や曽我兄弟など歌舞伎の登場人物などを模した人形が飾られます。
博多ということで、博多を舞台にした歌舞伎演目「毛剃」から毛剃九右衛門を描きました。
密貿易を生業とする海賊ですが、情にあつい、男気に溢れた親分です。
毛剃九右衛門の汐見の見得。
こちらもどうぞご一読ください。
もうひとつのかぶきねこづくし
AKPC15 「毛剃(けぞり)」その1
AKPC16 「毛剃(けぞり)」その2
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