描かれている人物
赤枠左:藤原淡海
赤枠右:天智帝
下:官女たちと帝の牛車、猿澤の池のほとり
絵の解説
牛車をひく淡海
身投げした采女局を偲んで歌を捧げる天智帝
(左側にいるのは「花渡し」の弥藤次)
幕開き、猿澤池のほとりで状況説明をする官女たち
いわゆる筋売りの場面。
あらすじ
主な登場人物と簡単な説明
・藤原淡海(ふじわらのたんかい)
四段目以降は烏帽子折求女として登場。
藤原鎌足の息子。
右近衛中将だったが、勅勘(天皇によるお咎め)され浪人中。
・天智帝(てんちてい)
蘇我入鹿によって宮中を追われる。
藤原鎌足の娘・采女局を寵愛している。
あらすじ
二段目 猿澤の池の段
宮中を追われた天智帝は、采女局が入水したとされる猿澤の池へとやってきた。
嘆き悲しむ帝は采女局に歌を捧げる。
そこへ浪人風の男が現れ、帝の前へ手をつく。
藤原鎌足の嫡子・淡海である。
蘇我入鹿の横暴と父・鎌足の蟄居、帝の病を聞きつけて駆けつけたのだった。
帝は淡海を再び召し抱える。
淡海は帝に入鹿の叛逆軍は制圧されたと嘘を言い、
牛車に乗せてどこかへと出立するのだった。
※時系列的には「蝦夷子館」の後、「花渡し」「吉野川」の前。
季節はまだ桜が咲く前の2月くらいでしょうか。
私のツボ
烏帽子折求女実は藤原淡海という男
烏帽子折求女という人物の印象が薄く、
鎌足の息子で入鹿討伐のために三輪の里に潜伏中という設定は分かりますが、
どうしても色男の印象が拭えません。
求女の正体である藤原淡海が活躍する二段目の「猿澤の池」。
舞台としては短く、「芝六住家」への橋渡し的な場面です。
歌舞伎の上演は過去二回のみ、1996年と1974年、いずれも国立劇場です。
帝が心配になって会いに来てみた淡海でしたが、不安は的中、
やんごとなき方々にはこの状況を打開する計画も実行力もなく、
ただオロオロするばかり。
とっさに芝六の家に帝らを匿うと判断し、先導します。
一人で帝とお付きの者たちを護衛するというハードな役割で、
立役の役どころです。
が、やはりどうしても印象が薄い淡海。
「猿澤の池」では、滅多に登場しない天智帝の方が印象に残ります。
「せめて采女に手向の一首」と
劇中で采女局に捧げる歌は、下記の歌です。
吾妹子が寝くたれ髪を猿沢の池の玉藻と見るぞ悲しき
(愛しいあの子の寝乱れ髪を、猿沢の池の藻として見るのは真に悲しいことだ)
実際は柿本人麻呂に天智天皇が詠ませた歌です。
史実では采女局が帝の寵愛が薄れたことを嘆いて猿澤池に身投げしたとされています。
話を淡海に戻します。
衣装や演出はほぼ文楽と同じですが、淡海の衣装が違います。
文楽では四段目と同じ露芝の着付。
歌舞伎では肩入の着付。
これは浪人という役柄と合わないということで、
1974年公演時の淡海役の六代目澤村田之助の発案によるものです。
衣装が役柄と合わないというより、
露芝の着付だと求女のイメージが強すぎるからではと思います。
少なくとも私は三段目を見た後であっても淡海の存在感は弱く、
まさに名前の通り淡い印象で、
帝を守護するプレッシャーで女に逃げたのかもしれないと、
どうしても求女のイメージから逃れられないのでした。
求女という役柄に対して、まだ淡海という役柄がは歌舞伎で練りあげられてないということで、
戦後二回だけの上演では仕方ないといえましょう。
伝統芸能も人が手を加え続けてこそ光るナマモノであること。
それが歌舞伎の面白いところでもあります。
求女とは違って立役よりの藤原淡海の活躍を記念して描きました。
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