絵の解説
広島といえば、
宮島、厳島神社に紅葉まんじゅう。
そこからスタートしての連想です。
宮島といえば杓子(しゃもじ)。
なぜ杓子なのかというと、遡ること寛政のころ(1789~1800年)、年貢の代わりに木工品が作られたことが始まりです。
宮島は神の土地なので、耕作は禁止されていました。
そこで年貢の代わりに木を使った工芸品を納めることになり、
宮島の弁財天にちなんで琵琶の形を模した杓子を作ったのが始まりと伝えられています。
さらに遡ること鎌倉時代初期。
神社や寺を建てるために鎌倉や京都から大工や指物師が招かれ、木工技術が受け継がれ、宮島に木工職人が多くいたという背景があります。
広島県北部の県境付近は森林資源が豊富と、環境に恵まれていたことも発展の後押しとなりました。
その木材の集積地である廿日市市は木工技術が発達し、そして生まれたのがけん玉。
大正時代に、廿日市市の木工メーカーが今のけん玉の原型を生み出しました。
受け皿がサイドについたお馴染みの形です。
木工品繋がりで、次は福山琴。
こちらは江戸時代に福山城主が琴などの芸事を推奨したことに起因します。
ここでも木工職人の腕がいかんなく発揮されたことは想像に難くありません。
ちなみに、お正月の音楽でお馴染みの「春の海」は福山市の鞘の浦から眺めた海をイメージして作られたそうです。
けん玉も「春の海」も身近なものですが、まさか広島にルーツがあるとは思いもよりませんでした。
お次は高級筆でお馴染みの熊野筆。
私は書道用の小筆を愛用していますが、本当に書きやすいです。
墨含みが良く、適度なしなりがあって、筆先が割れにくい。
道具は手入れをすれば長持ちするのは当然ですが、まずもって良い筆は手入れがしすい。
話を戻して、良質の筆が生まれた背景にはやはり厳島神社の存在は欠かせないのではと思います。
扁額はもちろん、御朱印やら経典やら大小さまざまの筆が使われたことでしょう。
そして広島といえば欠かせないのがお好み焼きと牡蠣。
広島のお好み焼きはひっくり返すのが難しいので、私はもっぱら外で食べるに限ります。
薄く焼いた生地に具材を重ねていくスタイルが確立されたのは何か理由があるのでしょうけれども、それはまだ次の課題とします。
広島市周辺の縄文時代や弥生時代の貝塚から大量の牡蠣の殻が出てきたことからも、広島と牡蠣の歴史はかなり古いようです。
そして本格的に養殖が始まったのは室町時代の終わり頃(1532年頃)。
そこから養殖法はさまざまな進化を遂げ、現在、広島は牡蠣生産量日本一。
物事には必ず歴史があって、その事象が発展した必然性がその土地に必ずあります。
それを紐解いていくのは楽しいものです。
揚げもみじ
この絵を描くに際して広島を色々と調べていたのですが、そこで目に入ったのが揚げもみじなるもの。
その名の通りもみじ饅頭を揚げた菓子で、宮島の名物のようです。
そこで思い出されるのが東京・浅草の揚げまんじゅう。
なぜ、人は油で揚げてしまうのか。
そのままでも美味しいのに、なぜハイカロリーの罪深い食べ物にしてしまうのか。
よもや、と思って地元の名古屋銘菓・ういろうは揚げられていやしないかと調べてみると、焼きういろう、ういろうの唐揚げなるものがありました。
さらに、鬼まんじゅうまで揚がっているではありませんか。
まだ新興勢力のようで、さほど浸透はしていないようです。
あんまきを揚げる猛者はいないだろうと思って恐々調べたら、すでに揚げおだまきとして岐阜(厳密には西濃地区)で定着していました。
あんまきは今も昔も大好きですが、こんな未知の世界が広がっていたとは知りませんでした。
以前、アメリカでピザ天ぷらや寿司天ぷら(天ぷらロール)が定番になっているというニュースを見て、写真だけで胃もたれしたのですが、古今東西、人間は油を愛してやまないようです。
話が広島から大幅に逸れてしまいましたが、ご当地ネタは横へどんどん広がっていくので楽しいです。
※鬼まんじゅう
角切りのサツマイモと小麦粉を混ぜて蒸したもの。
材料も作り方もシンプルなので、手作りおやつの定番。
全国的な食べ物かと思っていましたが、愛知県の郷土料理のようです。
※あんまき
三河地方のお菓子。
ホットケーキのような皮(どら焼きの皮とホットケーキの中間くらい)でこし餡を包んだもの。
恵方巻くらいの大きさがある。
小豆餡、白餡が基本で、他にいろいろなバリエーションがある。
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