AKPC01 小野道風青柳硯(おののとうふうあおやぎすずり)

もうひとつ

AKPC01 「小野道風青柳硯(おののとうふうあおやぎすずり)」

小野道風青柳硯

描かれている人物

一段目(右上):独鈷の駄六
二段目(左上):小野道風
三段目(右下):独鈷の駄六と小野道風
四段目(左下):蛙

絵の解説

相撲をする独鈷の駄六と小野道風、駄六を投げ飛ばす道風

原画

独鈷の駄六

柳に飛びつこうとする蛙。

原画

お初の水彩紙を試したところ描きづらかったので途中で中止。
パーツとして使うことにしました。

あらすじ

主な登場人物と簡単な説明

・小野道風(おののとうふう)
木工頭(きくのかみ)。
弟は武士の頼風。
政敵の奸計によって隠岐へ流罪となった父・小野篁(おののたかむら)の罪に座して大工をしていたが、時の天皇から小野家再興を命じられて公家に戻る。

・独鈷の駄六(とっこのだろく)
仇敵・左大将橘逸勢(たちばなのはやなり)の手下。
道風の大工仲間。

あらすじ

二世竹田出雲、吉田冠子、近松半二、三好松洛他の合作。
全五段。
初演は1754年大阪竹本座。

二段目「柳ヶ池蛙飛の場」
東寺の近く、柳ヶ池のほとりを傘をさして通りかかる道風。
ふと池を見やれば、蛙が柳の枝に飛びつこうと何度も跳ねている。
蛙は数度の失敗ののち、ついに柳の枝に飛びついた。
それを見た道風は、左大将逸勢の野望も今は不可能に思えても、大勢が味方すれば脅威となりうると悟る。

そこへ逸勢の手下が道風を襲うが逆に蹴散らされる。
次に独鈷の駄六が現れ、逸勢に加勢するよう説得するが聞き入れられず立ち廻りとなる。
道風は駄六を池の中に放り投げ、逸勢に直談判すべく館へ向かう。
駄六も池から這い上がって道風の後を追う。
幕。

その後の顛末
関白基経の息女・女郎花姫と逢瀬を重ねていた弟の頼風。
その不義密通を逸勢らに咎められ、窮地に立たされる道風だったが、乳母・法輪尼の命を賭けた祈念によって救われる。
その後、道風は、小野良実(よしざね)や頼風、独鈷の駄六実は文屋秋津(ぶんやのあきつ)と協力して逸勢らを滅ぼして帝を守り、天下泰平めでたしめでたし。

私のツボ

ぶっとび小野道風

まだ歌舞伎座が建て替えられる前の2008年二月大歌舞伎。
昼の部のお目当ては「関の扉」で、「小野道風青柳硯」は聞いたこともない演目でしたが昼の部のトップバッターなので軽めの舞踊か何かだろう、と思って観劇に臨んだところ、あまりのぶっとび具合に理解が追いつかず、しばらく幕見で通った思い出深い演目。

当時はまだ歌舞伎を見始めて間もない頃で、歌舞伎を観るというより浴びるのが楽しく、あらすじも知らずに観ることが多かったです。
下調べや予備知識なしでも十分舞台に引き込まれるので、むしろ何が飛び出してくるかわからない白紙の状態で臨むのが楽しくもありました。

演目のタイトルからして、小野道風の有名な蛙と柳の逸話にまつわる内容だろう継続は力なりといったような内容かと思いきや、、、
せっかく柳に飛びついたカエルを傘で落とすわ、華麗な立ち廻りで敵をバッタバッタと倒すわ、あげくドテラを着た赤っつら(独鈷の駄六)が出てきてエイヤーと池に放り投げるわ。
道風が武闘派なのも驚きですが、この独鈷の駄六が謎のキャラクターで、池から這いつくばって出てくる蛙見得も不恰好ではありながらも可愛く見えてしまう不思議な味わいです。

いったい目の前で何が起こっているのか、彼らはどのような必然で動いているのか、彼らは何がしたいのか、さっぱりわからないのが逆に気になって、すっかり大好きになってしまった演目です。

この独特の、不思議な味わい。
起承転結があるような、ないような、
おおどかでシュールで、
独特の間、まったく読めないテンポ。
これこそ私にとっての歌舞伎の魅力の一つです。
歌舞伎でしか味わえない感覚と言えます。

さらに小道具も秀逸で、差金がついた蛙はもちろん、駄六が池に落ちる時に飛び出す”水気(すいき)”が楽しい。
個人的にこの水気が大好きで、飛沫をこのような銀色のエノキダケのような小道具で表すセンスには脱帽します。
本水の飛沫より、俄然風情があってよろしいです。

水気(すいき)

と、不意打ちをくらって強烈な印象を受けた演目。

この後、2010年6月に博多座で上演されていますが、それ以降は上演なし。
おそらく、今後上演されることは無いだろうと思います。
わけがわからない内容ですし、もっと客入りの良さそうなものが優先されるでしょう。
それもそれで理解できますが、たまには珍しい古典を復活上演してほしいなと願ってやみません。

上方のいちびり精神

あまりにも予想外の内容だったので、思わず原作も調べてみたら、ますますわけが分かりませんでした。
能書家として有名な小野道風は、この狂言では文盲な上に無筆となっており、史実とは真逆の設定です。
それが奇跡によって能書家になってしまい、努力せずして才能を手にいれるという、これまたご都合主義というか、三蹟なのにそれで良いのかと思わず突っ込みたくなります。
独鈷の駄六は実は文屋康秀の勘当された息子だったという、歌舞伎ではお馴染みのやや無理のある設定も見逃せません。
「六歌仙」で軽妙な踊りを披露する文屋と結びつきにくいですが、それもまた一興。

小野道風は三蹟の一人ですが、作中で敵となる橘逸勢は三筆の一人です。
両者は世代が異なりますので、書道界における旧世代(橘逸勢)VS新世代(小野道風)とも捉えられましょう。

一応、史実を元に脚色を加えた王朝時代ものではありますが、上方のいちびり精神がふんだんに発揮された戯曲ともいえます。

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