描かれている人物
蝮のお市、おかや
絵の解説
おかるからおかやに宛てた手紙を読むお市。
手紙には、一周忌のために実家に帰ること、おかるの身請金を実家に置いておくのは危ないので庄屋に預けるよう書かれていた。
おかやから奪った手紙をくわえ定九郎の仇討ちを決意するお市
「この文(ふみ)にある百両の金をかたるが仇のかわり」
蛇目傘は定九郎の形見でしょうか。
黒に見える着付は、紺透綾の帷子(こんすきやのかたびら)で、濃紺の非常に薄い絹上布の単衣。
あらすじ
「忠臣蔵後日建前」(ちゅうしんぐらごにちのたてまえ)河竹黙阿弥作
主な登場人物と簡単な説明
・お市(おいち)
斧定九郎の女房。通称、蝮のお市。
間瀬久太夫の娘。許嫁がありながら斧定九郎と恋仲になり駆け落ちした。
おかるの異父姉。
・おかや
おかるの母。
若い頃、塩谷家の御家中・間瀬久太夫の屋敷へ腰元奉公に出た。
その時に間瀬のお手つきになり、子(お市)を宿す。
間瀬夫妻に子がいなかったことから養子に出した。
・小山田庄左衛門(おやまだしょうざえもん)
浪人。お市の許嫁だった侍。
討ち入りに参加したかったが、大石の密命を受け、斧親子が盗んだ浅野家系図を探している。
定九郎亡き後、虚無僧に扮して定九郎女房のお市を捜索していた。
*家督相続のため家系図が必要なのです
他、おかる、判人善六、角兵衛獅子実は若党山田角平、めっぽう弥八、近所の後家お友などがいます。
あらすじ
おかるの父・与市兵衛が定九郎に殺され、その定九郎が早野勘平に猪と間違って殺されてからちょうど一年。
6月29日、夜の伏見街道。
おかるの母・おかやは、父の一周忌のため娘・おかるを迎えに出たが夕立にあい辻堂で雨宿りをしていた。
定九郎の女房・蝮のお市は定九郎の墓参りの帰り道、おかやと同じ辻堂で雨宿りをする。
辻堂で過ごすうち二人は言葉をかわし、おかやはお市におかるからの手紙を見せる。
お市は、おかやが仇の身内と知り、暗闇に紛れて手紙と懐紙をすり替える。
翌日、おかるが戻って与市兵衛宅では一周忌が行われていた。
そこへ、お市が手紙を種に五十両かたろうと乗り込んでくる。
お市がすり替えた懐紙に挟まれていた守袋の中身から、お市とおかるは姉妹、おかやは実母とわかる。
悪行を悔やんだお市は猟銃で自害する。
私のツボ
めぐる因果は糸車
男を主人公とした作を女に書き替えた狂言は昔から随分多く、「女鳴神」「女暫」「女清玄」「女団七」などなど、その一つがこの「女定九郎」。
近年では九代目澤村宗十郎丈が得意とした役です。
残念ながら舞台を見たことはありません。
悪党の定九郎に女房がいたこと、その死を弔い、悼む人がいたことが意外でもあり嬉しくもあり、がぜん興味が湧きました。
意外というのは、定九郎にそこまでの物語があったこと、すなわち人間性を与えられていたことでした。
あぁ、彼も人並みに恋をして所帯を持っていたのか、と。
なお、ここでいう定九郎は、白塗りに黒の紋付を着た江戸前の定九郎です。
上方の定九郎はドテラにほっかむりスタイルで、股引を履いています。
上方の五段目は上演される機会は少ないですが、全く無いわけではありません。
こちらの定九郎でも矛盾はありませんが、この男にしてこの女あり、となると江戸前の定九郎がしっくりきます。
舞台の映像はどうやら無いようなので、舞台写真と筋書きとCDで脳内再生しました。
”実は”、お市はおかやの娘で、おかるとは異父姉妹だったというのは歌舞伎によくある展開なので、さほど驚きはありません。
驚いたのは、お市が一力茶屋の仲居をしていたこと。
与市兵衛が娘を売った百両の半金を縞の財布に入れて帰るのを見て、定九郎に襲うようそそのかしたのがお市だったのです。
目印として与市兵衛の腕のほくろも伝える周到ぶり。
そこで定九郎は山崎街道で与市兵衛を待ち伏せていたというわけです。
てっきり定九郎は街道沿いに住み着いて、稲藁に潜んで通行人を襲うのが手口の山賊かと思っていました。
お市の述懐によれば転々としながらも二人で京都に住んでいたようなので、都住まいならあの服装も佇まいも納得です。
ということは、お市がそそのかさなければ、与市兵衛も勘平も無駄死にする必要はなかったということになります。
どのみち勘平は仇討ちに参加して命を落とすのでしょうけれど、少なくとも納得のいく最期を迎えられたはず。
罪の意識にさいなまれたお市は、罪の告白をして自ら命を絶ちます。
猟銃で自害というのは衝撃的すぎると思いましたが、定九郎が撃たれた猟銃で自分も命を絶つという彼女なりの愛であり弔いなのかもしれません。
定九郎は家系図まで盗み出したという悪事がわかり、悪党度を高めるだけでした。
脚本によると斧親子が盗み出したようなので、この家系図をめぐって父子は断絶したのかもしれません。
いずれにせよ定九郎は悪党であることに変わりありません。
”実は”のどんでん返しは歌舞伎の得意技&常套手段ですが、謎の多い定九郎の人生が垣間見られたようで、非常にそそられました。
その勢いで絵を描いたもの。
劇評家の先生方には底が浅い三文芝居と言われてしまいそうですが、舞台を観てみたい演目の一つです。
ちなみに問題の家系図の巻物はお市が懐中に持っており、めでたく小山田の手に渡りました。
これにてめでたくお家再興でござりまする。
忠臣蔵パロディ
忠臣蔵のパロディなので、書き換えの洒落がいくつも散りばめられています。
(1)幕開き、猟師・種ケ島の六が夕立にあって種火が消えたと判人善六に火を借りる
(2)猪の代わりに、角兵衛獅子が踊る。
(3)判人善六は「仮名手本忠臣蔵」判人源六をもじったもの
(4)小山田が虚無僧姿になって与市兵衛宅の玄関先で尺八を吹き、手伝いに来ていた近所の後家お友が「御無用」と言うのは「山科閑居」のパロディ。
(5)後家のお友の亭主は、与市兵衛の猟師仲間の狸の角兵衛(与市兵衛の遺体を戸板に載せて運び込んだ三人のうちの一人)。与市兵衛が亡くなった後、病死。
(6)蓑をつけたお市が戸板に載せられ三人の猟師によっておかやの家に運び込まれる
(7)めっぽう弥八は「仮名手本忠臣蔵」にも登場する与市兵衛の猟師仲間。
他にも、見得やセリフなど細々ありますが、実際の舞台ではどうなのか不明なので、脚本から目立つもののみ書き出しました。
パロディはやりすぎると鼻につくので、個人的にはあまり好きではありません。
ただ、本歌取は平安時代からあったスタイルですし、江戸時代は狂歌が流行ったことからも、パロディというのは一つの創作スタイルとして定着し、好まれていたのだと思います。
その是非はさておくとして、蝮のお市という役柄がとても興味深いです。
Smoke Gets In Your Eyes.
お市の役柄は悪婆ですが、悪を発揮したのはまだ夫が生きていた頃、それこそ一力茶屋で与市兵衛が五十両を懐に家路につく後ろ姿を見て、良いカモとばかりに定九郎に教えた時でしょう。
この演目では、喪失感に打ちひしがれている未亡人にしか見えません。
おかやを強請るのも、金欲しさではなく定九郎の仇討ち、やるせない気持ちから出た行為なのでしょう。
彼女の中の”悪”は、定九郎の死によって枯れてしまい、定九郎との思い出、過去のものになっている気がしてなりません。
再び悪事に走ることで、定九郎を、生を感じたかったのかもしれません。
おかやが実の母、おかるが異父妹と分かった時、自らの行為を悔いて涙を流すのですが、「あんまり燻りすぎるね」と、蚊遣の煙が目にしみたと誤魔化します。
煙が目にしみるー
Smoke Gets In Your Eyes.
おや、どこかで聞いたようなフレーズ。
これはかの有名な名曲のタイトルではありますまいか。
歌詞も、まるで蝮のお市の人生を歌っているようです。
全く別ジャンルなのに繋がるこの衝撃。
勝手に私がこじつけているだけですが、好きなもの同士で(強引でも)接点を見出すことができると嬉しくてたまりません。
蝮のお市よ、永遠に…今宵はThe Plattersを聴くとします。
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