絵本 「仮名手本忠臣蔵」

かぶきねこづくし

描かれている人物

かぶきがわかるねこづくし絵本1 仮名手本忠臣蔵(講談社)

絵本表紙

絵本表紙:塩谷浪士たち
扉カット:口上人形と黒衣

絵の解説

由良之助を先頭に、両国橋を降りてくる塩谷浪士たち。

原画

「仮名手本忠臣蔵」の幕開きといえば口上人形。扉絵のカット。

原画

あらすじ

「仮名手本忠臣蔵」

あらすじ

高師直に侮辱された塩谷判官は殿中で刃傷事件を起こす。
その咎により塩谷判官は切腹、塩谷家は取りつぶしとなる。
塩谷家の国家老・大星由良之助は、塩谷判官の無念を晴らすべく、秘密裏に仇討ち計画を進める。
誰にもその計画を悟られないように祇園の茶屋で放蕩に耽る由良之助。
二月の殿中刃傷事件から、時は流れて早や師走。
塩谷浪士たちは高師直の屋敷に集結し、本懐を遂げるのだった。

解説

元禄時代に起こった赤穂浪士による仇討ちを劇化した時代物の義太夫狂言。
全11段構成。
「義経千本桜」「菅原伝授手習鑑」と並ぶ三大名作。

私のツボ

いろは札

討ち入りの際、浪士たちはいろは札を背中に差しています。
いわばドッグタグのような番号認識票です。

誰がどの仮名文字を付けているのか、絵を描くにあたって舞台写真や映像を見て確認しました。
「い」は由良之助、「ろ」は大星力弥、「は」は原郷右衛門なのは一定なのですが、それ以外はその時々でどうも異なるようです。
「仮名手本忠臣蔵」の登場人物は、実在の赤穂浪士の名前をもじったものが多いので史実をあたってみましたが、いろは文字と結びつけたのは明治以降の創作のようで、これまた一定ではありません。

というわけで、上記三名の他に舞台写真で確認できた千崎弥五郎と赤垣源蔵と冨森助右衛門の三名。
彼らだけ札が見えるように描きました。

後方で、滑って転んでいる猫浪士がいますが、事前に表紙のレイアウトを装丁家さんから伺っており、タイトルで隠れる位置に忍ばせておきました。

武士は辛いよ

独参湯(どくじんとう)とも呼ばれる「仮名手本忠臣蔵」。
あぁもう討ち入りの季節か〜、と季節を感じる風物詩のような性格もあります。
御多分に洩れず私も上演されれば必ず観に行ってしまいます。

「仮名手本忠臣蔵」の人気の理由は、勧善懲悪の分かりやすい物語であることと、武士道への憧れ、判官贔屓あたりにあるのではと思います。
何度か観るにつれ、一つ疑問が出てくるのが、果たして塩谷判官は名君主だったのかどうかということ。

赤穂事件での吉良上野介は、領地(愛知県西尾市)では名君として知られていることは有名な話です。
浅野内匠頭はと言いますと、好色で藩政は大石に任せっきり、気が小さいが短気、真面目だがプライドが高い、などなど当時の資料にあたると手厳しい評価が書かれています。
誰しも長短ありますので、これだけで人となりを判断すべきものではありませんし、史実と舞台は区別すべきものであることは承知していますので、これ以上は触れますまい。
下記資料より。
「土芥寇讎記(どかいこうしゅき)」元禄3年頃 大名の評判記のようなもの。幕府の秘密調書。
「諫懲後正(かんちょうこうせい)」元禄14年頃 武家評判気のようなもの。

舞台に話を戻しまして、
舞台の塩谷判官は白塗りで上品な佇まいですから歌舞伎のお約束で善人、赤っつらの高師直は悪人と区分されます。
上演頻度の少ない四段目の「花献上」で、顔世御前が塩谷判官のことを「元より短気なお生まれ付き」と原郷右衛門に語ったり、十段目では加古川本蔵が由良之助に「浅きたくみの塩谷殿(中略)ご主人の御短慮」と語ったりと、どうやら短気な人間であることは周知の事実のようです。
この本蔵の言葉に対して、否定するでもなく「是非もなき世の中」と互いに嘆き合います。

つまり、非業の死を遂げた人望厚き主君のため、命を賭けての仇討ちというより、元家老という立場、世間から求められる忠臣というイメージ、塩谷家の家名、大星家の家名のために仇を討つという”是非もなき”事情が見えてきてしまいます。
由良之助は仇を討たざるを得ない状況に追い込まれてしまったともいえましょう。
ここで逃げてしまえば斧九太夫のように不忠臣と呼ばれ、大石家の家名を汚すことになります。
逃げたくても逃げられない。
なぜなら武士だから。
国家老という立場があるから。
塩谷家という組織のために命を捧げる。

敵対的TOBを仕掛けてきた大企業(高師直)と戦う中小企業の幹部(由良之助)と社員たち(塩谷浪士)と置き換えられてしまいます。
自分の都合よりも世間体や組織を優先せざるを得ないことは誰しも大なり小なり経験があることと思います。
一人だけ逃げ出すわけにもいかず、忠誠や忠義や義理というお題目で自分自身さえも誤魔化してしまう。
一蓮托生、抜け駆け厳禁、滅私奉公。
あな恐ろしや。
”和も以て尊しとなす”日本人だからこそ、身につまされてしまうゆえに忠臣蔵は長く愛されているのだろうと思います。

コメント