描かれている人物
赤丸枠:(左から)松王丸女房千代、桜丸女房八重、桜丸、梅王丸女房春、白太夫
下:(左から)梅王丸、松王丸
絵の解説
祝膳の支度をする松王丸女房千代、桜丸を止める八重、腹切刀を差し出す桜丸、祝膳の支度をする梅王丸女房春、松王丸を竹箒で追い払う白太夫
※春の衣装は、黒の半襟をかけない場合もあります
米俵を掴んで喧嘩をする梅王丸と松王丸。
松王丸は明日から舎人から侍に昇格する予定で、前髪最後の日でもある。
あらすじ
主な登場人物と簡単な説明
・白太夫(しらたゆう)
三つ子の父。
佐太村の貧しい百姓で、四郎九郎(しろうくろう)という名だった。
当時は珍しい三つ子が生まれ、縁起が良いということで菅丞相が三人を貴人の家臣として取り立て、祝儀として四郎九郎に田畑を与えた。
それ以来、菅家の別荘(下屋敷)を預かり、菅丞相遺愛の梅・松・桜の木を守っている。
七十歳を機に白太夫と名を改める。
・桜丸(さくらまる)
三つ子の末弟。
皇弟・斎世親王の舎人だったが、親王が狩屋姫との駆落したため浪人の身になっている。
・八重(やえ)
桜丸の嫁。
・梅王丸(うめおうまる)
三つ子の長男。菅丞相の舎人。
・春(はる)
梅王丸の嫁。
・松王丸(まつおうまる)
三つ子の次兄。
藤原時平に仕える舎人。
・千代(ちよ)
松王丸の嫁。
他、「茶筅酒(ちゃせんさけ)の場」が上演される場合、百姓十作がいます。
あらすじ
「菅原伝授手習鑑」全五段のうち、三段目切「賀の祝」
河内国・佐太村(さたむら)。
三つ子の父・四郎九郎(しろうくろう)。七十歳を機に白太夫と名を改め、古希を祝うため、兄弟とその嫁たちが父の家に集まることになっている。
白太夫は近所に餅を配り、百姓十作が礼に立ち寄る。
兄弟の嫁たちがやってきて、仲良く三人で祝膳の支度をする。
膳を整え、千代は手作りの頭巾、春は梅松桜三本の扇、八重は三方と土器(かわらけ)を贈る。
白太夫は八重を伴って、氏神様へお参りに行く。
ここまで「茶筅酒の場」
そこへ松王丸と梅王丸がやって来て喧嘩を始める。
米俵を振り回して暴れるうち、菅丞相の愛樹の桜に当たって枝が折れてしまう。
白太夫と八重が戻り、松王丸と梅王丸は父に願書を出す。
梅王丸は菅丞相がいる太宰府へ行きたいと申し出るが、白太夫は行方不明になっている菅丞相の妻子を探すよう命じる。
一方、松王丸は勘当。
これは聞き届けられるが、白太夫は悪人・時平につくためかと怒り、千代ともども追い出す。
怒りがおさまらない白太夫は梅王丸夫婦をも家から追い出すが、夫婦は思うところあって物陰に隠れて様子を伺う。
すると、奥から桜丸が現れ、白太夫は三方の上に脇差を載せてやってくる。
菅丞相失脚の原因を作ったと自責の念に駆られた桜丸は死ぬ決意をしており、父もそれを許す。
桜丸が切腹し、八重は後を追おうとするが、物陰に隠れていた梅王丸夫婦に止められる。
白太夫は梅王丸たちに後を託し、菅丞相のもとへ旅立つのであった。
幕
私のツボ
三つ子それぞれ
「なまぬるい桜丸が顔付き、理屈めいた梅王が人相、見るからどうやら根性の悪そうな松王の面構え」
冗談めかして三人の嫁に言った白太夫の言葉ですが、物語における三つ子たちの表層的な役柄を言い表しています。
同時に、祝いの席で機嫌が良くなってうっかり父の本音が出てしまったようにも取れ、松王丸の悲劇性をより高めます。
この発言は松王丸本人は聞いていませんが、千代はさぞ傷ついたでことでしょう。
「賀の祝」では、桜丸と八重の役柄がずいぶん変化していて、儚げな優男になっています。
八重も振袖で小娘のよう。
「加茂堤」とは性格も衣装も大違いの二人です。
この桜丸は十五代目市村羽左衛門が作り上げたもので、すっかり定着しました。
段ごとの上演が多いので、全体のバランスよりもその時々の上演の面白さを優先したからというのが一番の原因ですが、そのフレキシブルさが好きです。
伝統芸能なので形式や様式があるものの、生身の人間が演じる以上は全く同じにならず、都度、微妙に変化していく。
その小さな差異が釉薬のように重なって、演目そのものに深みを出していくのであろうと思います。
話を戻して、「車引」で桜丸・梅王丸との対立を明確にした松王丸ですが、「賀の祝」で勘当を申し出て家族と完全に決裂します。
白太夫の家を立ち去る時には、憎々しげな悪態を老父につき、”嫌な奴”という印象を残して立ち去ります。
バラバラになってしまった家族の悲劇。
米俵を持って子供のように喧嘩をしていた松王丸と梅王丸。
この後、埋めがたい決裂が兄弟の間にできるとはつゆ知らず、兄弟らしい最後のひとときです。
桜丸の自害という決定的な悲劇の前のそれぞれを描きました。
セリフは「歌舞伎名作選」(創元社)より
祝膳のメニュー
「賀の祝」は前半と後半に分かれ、前半は「茶筅酒」で後半は「喧嘩」〜「桜丸腹切」です。
「茶筅酒」は歌舞伎で省略されることが多いですが、三つ子の嫁たちが仲睦まじく和気藹々としており、後半の三つ子をめぐる悲劇をより一層引き立てます。
百姓十作がやってきて振る舞い餅が酒くさい云々と白太夫と話す場面があります。
この振る舞い餅に茶筅で酒を酒塩を打ったので酒の匂いがすると白太夫が説明します。
古希の祝いなので、本来は祝い酒と餅を近所に配るところ、菅丞相の一件があったので餅に酒をまぶしたものに変更したとのこと。
十作のくだりの後、八重がきて、遅れて千代と春がやってきます。
三人とも、おひたし用にとタンポポと嫁菜を道中摘んできます。
この嫁菜は何の野菜を指すのか不明ですが、かき菜や餅菜のような小松菜系のご当地野菜ではないかと思います。
祝膳のメニューは、雑煮、鰹なます、タンポポと嫁菜のおひたし。
この鰹なますは、名前の通り生鰹の膾です。
左太村は現・守口市で海からは遠い山間の村ですから、生鰹を手に入れるのは容易ではなかったでしょう。
皆が集まるからと奮発した白太夫を思うと胸が痛くなります。
祝膳が整い、嬉しさのあまり頬張りすぎて喉を詰まらせる白太夫。
笑いあう嫁と舅。
この何ということのない和やかなやりとり。
物語の筋には絡みませんが、「菅原伝授手習鑑」全体で捉えたとき、物語の本質が垣間見える場面だと私は思っています。
まず、ここにいる人々ー白太夫、春、千代、八重は、”宮仕え”している本人ではなく、その一番近くにいる人たちです。
そこに主従関係や忠誠心はなく、あるのは家族愛のみ。
夫たちは仕事の立場上、対立関係にありますが、妻たちは仲が良く、舅とも仲が良い。
それはそれ、これはこれ、なのです。
その切り替えができないのが物語に出てくる男たちで、そのズレが悲劇を生みます。
私は「菅原伝授手習鑑」は女たちの悲劇だと捉えています。
男と女の、愛の矛先が異なることによる悲劇。
男たちは納得して自ら選んだ悲劇なのかもしれませんが、女たちは夫を愛するが故に巻き込まれたに過ぎません。
それについては改めて絵本の記事で書くとして、その悲劇性がよく顕れているのがこの「賀の祝」であり「茶筅酒の場」だろうと思っています。
単体での上演は少ないですが、詩情あふれた味わいで私は大好きです。
世話と荒事と愁嘆場と見どころも多く、特に桜丸の切腹の場面の白太夫の念仏は異様な迫力で胸に迫ります。
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