SNPC32 栗拾い

四季ねこねこ

絵の解説

峠の茶屋。
栗をたくさん拾ってきた親父さんが、栗のお裾分け。
「イガイガだがね〜」
「栗ご飯でも作ろうかね」

ススキが揺れ、雁が飛ぶ秋の昼下がり。
秋の七草は左から、尾花、萩、葛、桔梗、撫子、藤袴、女郎花。

原画

秋の七草

春の七草といえば1月7日に七草粥を食べることでよく知られています。
秋の七草は食用ではなく観賞用ですが、古くから多くの画人に好まれた題材で屛風や襖絵などで多くの画家に描かれています。
月と秋草図、松と秋草図、美人秋草図など、何かと秋草を組み合わせた構図が多いです。
秋の七草がどれも華奢で小ぶりな花ばかりなので、大きな面積に描くにはそれだけだと絵がまとまらないのだろうと思われます。
ちなみに「仮名手本忠臣蔵」の七段目のおかるの団扇は銀地に秋の七草です。

長谷川等伯といえば松林図が有名ですが、智積院にある「松に秋草図屛風」も有名です。
金箔をふんだんに使った華やかな屛風で、松林図とは真逆の仕上がりですが、その繊細さはやはり等伯です。
その振り幅の大きさが等伯の魅力だと個人的には思っています。
作風の魅力というより、等伯という人間に魅力を感じます。
最初から「松林図」のような枯淡の境地に達していたわけではないし、おそらく達することはできないであろうといたく感じ入ります。

もう随分昔ですが、智積院の宿坊に泊まり、早朝に「松に秋草図屛風」を見学しました。
合宿所のようなそっけない部屋に泊まりました。
夜明け頃に目が覚めてしまい、窓を開けると青白い景色と五重塔が見え、どこからか鐘の音が響きました。
その静かな朝の空気がとても印象的で、その後に見たであろう等伯の絵はすっぽり記憶から抜け落ちています。
照明を落とした蔵のような場所に案内されましたが、それなりに人がいて薄暗がりに人の頭がたくさんあったことしか覚えていません。
早々に見学は切り上げられ、お堂に通されて見学者全員で食事を取るのですが、これまた窮屈で居心地が悪く落ち着きません。

等伯が描いた現物の屛風図を見る体験は、絵よりも京都の青い朝の景色と朝食にでたふりかけの小袋が最も鮮明に残りました。
屛風図という存在を感じる体験という意味においては、それはそれで間違ってはいないのだろうと思います。
絵画を見に行く行為も、歌舞伎や演劇やコンサートを生で観に行く体験と同じであって、絵の細部がじっくり見たいなら画集か何かで確認したほうが良いでしょう。
臨場感や、その存在を感じる体験が大切だと私は思っています。
なお、20世紀の頃の話ですから、今の見学事情はまた違うのかもしれません。

話が大幅にそれましたが、私も秋の七草は好きなモティーフなので秋になるとよく描きます。
都会でも意外とすぐそこに生えていたりする身近な草花です。

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