描かれている人物
枠上左:平傔仗直方
同 右:直方妻浜夕
中央:お君、袖萩
枠下左:安倍宗任
同中央:安倍貞任
同 右:八幡太郎義家
絵の解説
お君と袖萩。
ふりしきる雪の中、祭文を謡う袖萩。
宗任、中納言に化けている貞任
中納言の正体を見破る八幡太郎義家
袖萩への思いを堪える直方、浜夕。
あらすじ
主な登場人物と簡単な説明
・袖萩(そではぎ)
直方の長女。
親の反対を押し切って黒沢左仲(くろさわさちゅう)という浪人と密通、妊娠して駆け落ちし、二人の子をもうける。
その後、夫は失踪、盲目となって瞽女に落ちぶれる。
・安倍貞任(あべのさだとう)
源義家によって滅ぼされた安倍頼時の息子で宗任の兄。
すなわち、直方とは敵対関係にある。
黒沢左仲と名乗り、袖萩との間にお君と千代童の二子をもうける。
亡き父の大望を果たすため環宮を誘拐、桂中納言教氏に扮して環宮の屋敷に来ている。
・八幡太郎義家(はちまんたろうよしいえ)
袖萩の妹・敷妙(しきたえ)の夫。
前九年の役で、父・源頼義と共に奥州安倍一族を滅ぼす。
袖萩の夫である安倍貞任とは敵対関係にある。
八幡太郎は義家の通称。
・平傔仗直方(たいらのぎじょうなおかた)
袖萩の父。平家。
娘の敷妙が義家に嫁いだため、源氏と姻戚関係になる。
・浜夕(はまゆう)
袖萩の母。
落ちぶれた袖萩を見かねて打掛を与える。
・安倍宗任(あべのむねとう)
安倍貞任の弟。和歌の名人。
父の無念を晴らすべく、兄と共に義家を討とうとしている。
あらすじ
全五段のうち三段目の切「環宮明御殿の場」
帝の弟・環宮(たまきのみや)の傳役(もりやく)を務める平傔仗直方と妻・浜夕の間には二人の娘がある。
十年前、十六歳だった姉の袖萩は浪人と駆け落ちし、行方知れず。
その後、妹の敷妙は八幡太郎義家に嫁いだ。
そして十年。
ここは雪が降る環宮の明御殿。
環宮が何者かに誘拐され、直方夫婦が留守を預かっていた。
しかし、今日は行方不明の責任をとって直方が切腹しなければならない当日である。
義家夫婦も訪れ、勅使として桂中納言教氏も館に来ていた。
そこへ父の大事を聞きつけた袖萩が十年ぶりで現れる。
一人娘のお君に手を引かれた盲目の袖萩の姿を見て、衝撃を受ける両親。
袖萩は庭の木戸の外で不孝を詫びる祭文を語る。
両親は優しい言葉をかけたい孫の顔を見たい気持ちを堪え、あえて辛く当たる。
直方夫婦が奥へ下がると、安倍貞任の弟・宗任が現れ、袖萩に直方を殺すよう勧める。
やがて切腹の時刻が迫り、直方は切腹、袖萩は自害する。
そこへ桂中納言教氏が直方の切腹を確認に現れると、屋敷奥から出てきた義家に正体を見破られる。
全てを見破られた貞任は義家を討とうとするが、義家はそれを止め、瀕死の袖萩とお君に対面させる。
そこへ弟の宗任も現れ、三人は戦場での再会を約束して別れる。
私のツボ
前半、袖萩の哀愁
雪の中で袖萩が娘と寄り添って祭文を謡う姿をまず描きたかった。
ところがここに貞任のぶっかえりまで加えると、うるさい絵になってしまいます。
全体を網羅できて良いのですが、袖萩の哀れさも薄まってしまいます。
この演目は、前半と後半で雰囲気が全く違います。
前半は袖萩を主役とした悲しく辛い場面。
後半はうって変わって貞任のぶっかえりに宗任の荒事、衣装も動きも派手で、テンションが高いです。
前半と後半の落差が激しい。
袖萩を貞任を同じ俳優さんが兼ねることもあるので、どちらもそれぞれの見せ場となっているのでしょう。
よって前半の袖萩を主題として描きました。
貞任は桂中納言の姿です。
宗任は後半部分への橋渡しとして、鶴殺しの金兵衛ではなく荒事の姿で描きました。
通常、袖萩の出の前の部分ー金兵衛に扮した宗任と貞任が和歌で合図を交わす場面ーは省略されてしまうので、金兵衛の印象が薄いです。
袖萩のみずぼらしさを際立たせたかったので、金兵衛は荒事の姿としました。
交錯する直方・浜夕・袖萩の哀しさと胸の中で流しているであろう涙を、背景の淡い紫のグラデーションに乗せました。
貞任のぶっかえりはまた次回。
時代物における男と女の愛の違い
前半の袖萩の場面はただただ悲しいのですが、後半の貞任が派手すぎて、初めて観た時は「なんだかよくわからない」という感想でした。
まだ歌舞伎を見始めた頃で、あえて予備知識なく観て、どこまで理解できるか・どこまで入り込めるか、というのを楽しんでいました。
「袖萩祭文」もそんな時期に見ました。
あまりにも訳がわからないので複数回見て、背景も調べるうち、これは重層的な悲劇なのだとやっと理解できました。
まず、家族が敵と味方に分かれてしまったことが第一の悲劇。
平氏の直方は、家の安泰を願って源氏の婿をとった。
直方の娘・袖萩は、愛のため、源氏と敵対する安倍一族の夫を持った。
次に、男と女で優先するものが違うことからくる第二の悲劇。
直方も、貞任も、義家も、家・一族の安泰と繁栄を願う。
一方、袖萩は女として夫への愛、娘として両親への愛を優先します。
そこに家や政治はありません。
袖萩の母・浜夕も娘への情愛が勝り、寒さを凌ぐため隠れて裲襠を娘に与えます。
やはりここでも優先されるのが母の愛。
武士の妻という立場ではなく、袖萩の母という立場を優先します。
男と女では優先するものが違う。
家族であれ、夫婦であれ、親子であれ、男は家への忠義や大義を、女は夫や我が子への愛を優先する。
このズレが悲劇を生み出します。
決して交わらないズレ。
物語は平安時代末期、武士が中心の政権へと移行する時代ですが、ここで描かれている男と女の愛の違いは時代を超えた普遍的な命題であると思います。
家同士の対立ゆえに引き裂かれる家族の悲劇を描いた「袖萩祭文」ですが、直方が絶命する間際に袖萩に来世で親子の対面をしようと叫ぶのを聞いた袖萩は父に許されたことを喜びます。
また、貞任は瀕死の袖萩とお君と対面し、最愛の妻との別れを悲しむ一人の男になります。
この二つの場面がとりわけ悲しいのですが、心が通じ合う瞬間であり、救いでもあります。
小さくても救いがあるからこそ、私は「袖萩祭文」が好きで何度も見るのだろうと思います。
「袖萩祭文」の魅力を理解するのに何年もかかりました。
「袖萩祭文」に限らず、古典は何回か見てようやく理解できる演目が多いです。
歌舞伎は難しいでしょうとよく言われますが(この前提からして誤解なのですがそれはさておく)、難しいからこその面白さもあると私は思っています。
じっくりと読み解いていく楽しさ。
これも歌舞伎の魅力の一つだと思います。
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