KNPC78 筆法伝授(ひっぽうでんじゅ)〜菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)

かぶきねこづくし

描かれている人物

上段:(左から)園生の前、梅王丸、局水無瀬
中段:(左から)菅秀才と戸浪、菅丞相、武部源蔵
下段:(左から)左中弁希世、荒島主税、三善清行

絵の解説

原画

園生の前:冠が落ちて不吉な予感に見舞われる菅丞相をなだめる園生の前
梅王丸:源蔵夫妻に菅秀才を託し、屋敷から立ち去る二人を見て無事を祈るところ
水無瀬:「早う誰ぞおぢゃらぬか」と希世にしつこく呼ばれて出てきたところ

菅秀才と戸浪:菅秀才を梅王丸に託され、背負って逃げるところ
菅丞相:宮中へ向かおうとすると冠の紐が切れて落ち不吉な予感に襲われる菅丞相
源蔵:筆法が書かれた巻物を伝授され感極まる

左中弁希世:源蔵から筆法の巻物を奪おうとして源蔵夫婦に文机に縛られる
荒島主税:上司である清行に同行して菅丞相の屋敷へ来たところ
三善清行:謀反の嫌疑をかけられた菅丞相の屋敷を封鎖にきたところ

あらすじ

「菅原伝授手習鑑」全五段のうち、二幕目「筆法伝授」

主な登場人物と簡単な説明

・菅丞相(かんしょうじょう)
菅原道真。丞相は大臣の唐名のことで、右大臣を勤めたことにちなんで菅丞相と呼ばれる。菅丞相の政敵・藤原時平は左大臣。役職は左大臣の方が上。

・園生の前(そのうのまえ)
菅丞相の妻。

・菅秀才(かんしゅうさい)
菅丞相と園生の前の間に生まれた子。七歳。

・梅王丸(うめおうまる)
菅丞相に仕える舎人。三つ子の兄弟の長男。三人の中でもとりわけ気性が激しい。

・武部源蔵(たけべげんぞう)
菅丞相の家臣で書の弟子だったが、戸浪と恋仲になったことから勘当され、芹生(せりょう)の山里で寺子屋を営む。
真面目な性格で、勘当されてもなお菅丞相を慕っている。

・戸浪(となみ)
源蔵の妻。園生の前の腰元だったが勘当され、夫・源蔵と共に寺子屋を営む。

・左中弁希世(さちゅうべんまれよ)
菅丞相の古参の弟子で、筆法を伝授されるのは自分しかいないと思い込んでいるが、書の才能も人徳も乏しい。
菅丞相が失脚すると時平側に寝返る。

・三善清貫(みよしのきよつら)
藤原時平に従う公家。菅丞相が宮中で拘束されたので屋敷を封鎖に来た。

・荒島主税(あらしまちから)
三善清行の部下。封鎖された菅丞相の屋敷の門の護衛を命じられる。

・水瀬瀬(みなせ)
園生の前の局。

あらすじ

「筆法伝授」
菅丞相は勅命によって筆道の奥義を弟子に伝えるため、学問所で七日間の斎戒(ものいみ)の最中であった。
勘当していた弟子・武部源蔵夫婦を呼び、源蔵に筆法を伝授する。
そこへ宮中から菅丞相に急ぎ参内せよとの使いが来る。
斎戒中であることは宮中でも周知のことなのにと訝しむ菅丞相。
身支度を整えると冠の紐が解けて落ち、不吉な予感にとらわれる。

斎世親王と苅屋姫の密会は、娘を皇后にしようという野心のあらわれと疑いをかけられた菅丞相は拘束され太宰府への流刑が決まる。
菅丞相は拘束され、屋敷は封鎖される。
急転直下の事態に、梅王丸は菅秀才を源蔵夫妻に託す。

私のツボ

端敵のリアリティ

道真公が主人公なので史実からすると平安末期の物語ですが、源蔵夫妻の誂えがどうみても江戸時代です。
時代考証を無視するのは歌舞伎のお約束で、最初は戸惑いますが慣れてしまうと気になるどころかこの違和感が癖になります。
作る側も観る側も柔軟で自由なのが良いです。

史実という観点ではリアリティに欠けますが、人物描写が非常にリアルだと感じるのがこの「筆法伝授」。
何と言っても左中弁希世。
実力が伴わないのに自信たっぷりで、やることなすこと色々とせこく、おまけに若い女子に目が無い。
立場が危うくなれば、簡単に主人を裏切り、口八丁手八丁で取り入る。

どの組織にも一人はいるタイプです。
松竹映画の社長シリーズの三木のり平、フランキー堺、小沢昭一あたりの役どころでしょうか。

「加茂堤」でも出てきた清行も、典型的な腰巾着タイプ。
大局を見ず、保身と目先の得点稼ぎに余念がないタイプで、これまた組織に一人はいるタイプです。

対する菅丞相は、彼らとは正反対で実直で清廉潔白。
筆法を授けた源蔵に「伝授は伝授、勘当は勘当」とにべもなく、用は済んだのでさっさと帰るよう促します。
おそらく源蔵は久方ぶりの再会と伝授の喜びをかつての主人であり師匠である菅丞相と分かち合いたく、あわよくば勘当を解いてもらえるのではとの願いがあったと思うのですが、願い虚しく…。
自らの発言と行動に責任を持つからこその菅丞相の態度ですが、その融通の効かない正しさゆえに時平との対立を招いたのは想像に難くありません。
情に流されることのない理知的な人物なのだろうと人柄が偲ばれます。

正しければ正しい人ほど組織や世間から疎まれてしまう現実。
万国共通なのかもしれませんが、少なくともそこは江戸時代から変わらないようです。
希世や清行の方が世渡り上手として出世してしまうのも今も昔も変わらないのかもしれません。
そういった意味では非常にリアリティのある場面だと思います。

水瀬瀬

舞台の冒頭、手を仕切りに打ち鳴らして腰元をよぶ希世。
呼ばれて出てきたのが局の水瀬瀬。
筋に大きくは関わりませんが、厚かましい希世と冷静な水無瀬の掛け合いが面白く、後半の重苦しい空気の前のちょっとした前菜といった趣です。
濃い青の着付と打掛の裏の赤のコントラストが美しいのと、二代目吉之丞さんの上品な水無瀬が素晴らしく、強く印象に残っています。
折り目正しく、上品な局。
水無瀬が仕える園生の前の誠実な人柄も知れ、時平側とは正反対の”この上司にしてこの部下あり”です。
園生の前の人柄を描き出す存在として水無瀬を描きました。

源蔵が書いた書

菅丞相は自ら書いた書を手本に源蔵に書を書かせます。
その課題とも言える自作の漢詩は、下記の通りです。
『菅家文草(かんけぶんそう)』に収められた道真五十三歳の時の七言句。
『和漢朗詠集』にも収録されています。
漢詩の題名は「春浅帯軽寒」

鑽沙草只三分計(いさごをきるくさ たださんぶんばかり)
跨樹霞纔半段余(きにまたがるかすみ わずかにはんたんあまり)

砂利を切るようにその間から生えた草は、まだ三分ばかりの短さである。
木をまたぐようにかかる霞はまだ半段余り(約六メートル)である。

もう一つの課題は柿本人麻呂の歌。

昨日こそ 年は暮しか 春霞 春日の山に 早や立ちにけり

昨日、年が暮れたばかりだが、もう春日山には春霞が立っている。

どちらも早春の景色を詠んだものです。

源蔵は何を書いたのか気になって調べました。
筆法伝授の試験は仮名散らしも書くのね、と興味深かったです。

「天満宮菜種御供(てんまんぐう なたねのごくう)」では、この課題に託された菅丞相の真意を源蔵が解き明かす場面があります。
幼い菅秀才の成長と菅家筆法の発展を、早春の詩に寄せて願うといったもの。
「時平の七笑い」の場しか上演されないので、もちろん上演はされておらず、私も本で読んだのみです。
菅秀才を思う、菅丞相の優しさが沁みます。

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