KNPC148 義経千本桜(よしつねせんぼんさくら)その9 吉野山(よしのやま)

かぶきねこづくし

描かれている人物と場面

左から:佐藤忠信実は源九郎狐、静御前
下枠:早見藤太

絵の解説

〽弥生は雛の妹背月 女雛男雛と並べて置いて…

源九郎狐、静御前(原画)

忠信の、狐の耳を象徴する元結はつける場合とつけない場合があり(俳優、家による)、この絵では元結をつけない演出に基づいています。

早見藤太

早見藤太(原画)

あらすじ

道行初音旅(みちゆきはつねのたび)〜吉野山(よしのやま)

役の説明

佐藤忠信実は源九郎狐(さとうただのぶ げんくろうぎつね):
義経から静の守護を命じられ吉野山行きに同行する。

静御前(しずかごぜん):
義経の愛妾。

早見藤太(はやみのとうた):
鎌倉方の役人。静御前を追っている。
※名前が逸見藤太、笹目忠太になることもあります。
演出によっては登場しない場合もあります。

あらすじ

満開の桜が咲き誇る吉野山に、義経一行がいるという噂を聞いた静御前は忠信を伴ってやってくる。
静は忠信の姿が見えないので、鼓を出して打つと、どこからともなく忠信が現れる。
二人はゆかりの鼓と鎧を見ては義経を偲び、忠信の兄継信が平教経の矢に射られた源平の合戦のさまを語り合う。
そこへ追ってきた鎌倉方の早見藤太が静を奪おうとするが、忠信に追い払われる。

私のツボ

明るい道行

「道行」というと、その先には破滅しかない暗い舞踊が多い印象があります。
「忠臣蔵」の「道行旅路の花聟」は逃避行で、現に勘平には悲劇が待ち受けていますし、八段目の「道行旅路嫁入」も決死の嫁入りで、どちらも悲愴感が漂います。
決して舞台美術も曲調も暗くはないのに、どうしても漂う物悲しさ。
道行というと、つい近松の戯曲を思い出してしまうせいもあります。

それにひきかえ、「吉野山」は焦燥感はあれど悲愴感はありません。
まず、静御前と狐忠信が、恋人同士ではなく主従関係という大きな違いがあります。
それから、二人を結びつけているのは義経の存在ですが、それぞれ見ているものが異なります。
静御前は義経を求め、狐は初音の鼓を求める。
手が届きそうで、届かないもどかしさ。
それが共に吉野山へと急ぐ道行の二人の共通項です。
もどかしさや不安はあれど、手に入るかもしれないという希望がそこにあります。

随所で、狐忠信が怪しい動きを見せますが、静御前はあまり気に留めません。
彼女の頭の中は、恋しい義経のことでいっぱいです。
狐忠信も、うっかり狐のような怪しい動きをしてしまいます。
彼もまた、初音の鼓のことで頭がいっぱいです。

一緒に道行をしていますが、お互い別のことを考えていて、相手のことは眼中にない。
縁あって同伴しているだけ。
そのやや特殊な二人の関係性が、他の「道行もの」とは違う味わいを醸し出しているのではないかと思います。

絵に描いた女雛男雛のポーズも、お互いを想うのではなく、おそらく別のことを考えているのでしょう。
並んではいますが、それぞれの視線の先にあるものは全く違っている。
義経千本桜の物語世界を逸脱して、これはなかなか意味深重な解釈ができる情景だなと思い、この場面を描きました。

常磐衣(ときわごろも)

脇を閉じ合わせた白地の常磐衣と呼ばれる衣装を、赤の着付の上に着る場合もあります。
この場合、緑色の紗の市女笠を持ちます。
静御前が義経の愛妾、すなわちミセスであることから、赤姫の扮装では違和感があるという配慮によるもののようです。
ただ、義太夫の場合は赤の着付と打掛に、黒の塗の笠を持つ場合が多いようです。
とはいえ、これも明確に決まりがあるわけではなく、演じる俳優の好みによるようです。

どちらになるのか分からないので、監修用にあらかじめ二種類用意しました。
常磐衣のパーツ。

常磐衣のパーツ(原画)

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