描かれている人物と場面
いがみの権太(いがみのごんた)
KNPC34:中段右端(「すし屋」)
KNPC36:右上(「木の実」)、左下(「すし屋」)
絵の解説
「木の実」小金吾に因縁をつけ、挑発する権太。
小金吾は刀を抜こうとするのをグッと堪える。
後ろの招き猫は煙草盆。
鮓桶を抱えて花見を引っ込むところ。
本物の維盛たちを呼び寄せるため、合図として息子の善太郎の笛を吹く権太。
衣装を含め、江戸と上方とやや演出が異なりますが、江戸で描いています。
あらすじ
「義経千本桜」全五段 竹田出雲・三好松洛・並木千柳(合作)
役の説明
いがみの権太(いがみのごんた):
下市村の鮓屋の主人弥左衛門の息子。
親から勘当されている札付きの悪党だが性根は優しく子煩悩。
小せん(こせん):
権太の女房。御所(ごぜ)の元遊女。
吉野山の入口となる下市村で茶店を切り盛りしている。
善太郎(ぜんたろう):
権太と小せん夫婦の息子。
あらすじ
三段目 「木の実(このみ)・小金吾討死(こきんごうちじに)」
平維盛(これもり)の妻・若葉の内侍(ないし)と一子の六代君(ろくだいぎみ)、家臣の主馬小金吾(しゅめのこきんご)は、維盛が隠れ住むという高野山に向かう途中、吉野の茶屋に立ち寄る。
そこへいがみの権太がやってきて、言いがかりをつけて金をゆすり取る。
騙(かた)りとは分かっていても、素性が知れるのを恐れる小金吾たちは我慢するしかなかった。
一方、権太は女房の小せんと息子の善太郎と三人、家路につく。
若葉の内侍一行はとうとう捕り手に追いつかれる。
小金吾は内侍と六代君を逃すが、深手を追って絶命。
そこを通りかかった下市村のすし屋の主人弥左衛門は、何かを思いついて小金吾の首を打って持ち去る。
三段目 「すし屋」
下市村の鮓屋「釣瓶鮓(つるべずし)」の看板娘のお里は、店で働く弥助と恋仲で、今宵は祝言と聞かされて浮き足立っている。
弥助は実は平維盛で、維盛の父重盛に恩のある弥左衛門に匿われていた。
しかし、それが鎌倉方に露見し、梶原景時から維盛の首を要求されていた。
小金吾の首を身替わりとして鎌倉方へ差し出すつもりで、ひとまず鮓桶に隠す。
おりしも、その晩遅く、若葉の内侍と六代君が一夜の宿を求めて訪ねてくる。
再会を喜ぶ維盛を見て、真相を知ったお里は三人を父親の隠居所へと逃がす。
それを奥の部屋で聞いていた権太は訴人すると鮓桶を抱えて三人の後を追う。
やがて梶原が大勢の家来と共に、鮓屋にきて、弥左衛門に維盛を渡せと迫る。
そこへ権太が、維盛の首と生け捕りにした内侍と六代君を連れてきて梶原に差し出す。
梶原は維盛の首に相違ないと見極め、源頼朝の陣羽織を褒美として権太に与えて立ち去る。
怒りのあまり弥左衛門に腹を刺され、重傷を負った権太は真相を語る。
維盛たちは無事で、偽首だけではあやういと考え、自分の妻子に内侍と六代君の衣服を着せ、身替わりとして差し出したという。
権太が合図をすると、本物の維盛一家が無事な姿をあらわした。
維盛が頼朝の陣羽織を恨みを込めて裂こうとすると、中から出てきたのは数珠と袈裟。
かつて、維盛の父重盛に助けられた恩返しに、維盛を出家させて命を助けようという頼朝のはからいだった。
権太は息絶え、維盛は無常を悟って出家、弥左衛門一家は悲しみにくれる。
私のツボ
ごんたくれ
権太といえば白地にグレーと黒の大柄のギンガムチェック。
ギンガムチェックではなく弁慶格子、または弁慶縞と呼ばれます。
「夏祭浪花鑑」の一寸徳兵衛、「三笠山御殿」の鱶七、やや柄が細かいですが「東海道四谷怪談」の伊右衛門も弁慶格子です。
「絵本合法衢(えほんがっぽうがつじ)」の立場の太平次の衣装も変形版です。
女形でも、「於染久松色読販」の土手のお六など、やや気性の激しい役が着用します。
正式には黒系のみが「弁慶格子」とされるので、一寸徳兵衛は「柿弁慶」と呼ばれます。
縦より横のほうが少し太くなっています。
「勧進帳」の初期上演の頃、弁慶がこの模様の衣装を着ていたことに由来するようです。
なお、「勧進帳」の弁慶が来ている着付の模様は「翁格子」です。
と、うんちくはさておきまして、歌舞伎の衣装は役柄によってある程度パターンがあります。
弁慶格子を着ている役は、もれなく何かしでかす”ごんたくれ”です。
単純な柄ですが、単純で大胆な柄ゆえに目立つ派手な柄。
単純で、短絡的で、それゆえ行動は大胆で、でもそれゆえ破綻する。
衣装と役柄が見事に合致しています。
めぐる因果
悲しい結末の権太ですが、最期に「(略)思えばこれまでかたったる、果ては命をかたらるる」と自嘲気味に因果応報を嘆き、無駄死にであったと悟ります。
弥左衛門も因果を嘆き、若葉の内侍と六代君の供として旅立ちます。
狼藉者として名を馳せていた権太の因果はわかるとして、弥左衛門の因果とは何なのでしょうか。
かつて弥左衛門が船頭をしていた頃、唐土に奉納する金子三千両を盗まれてしまったが、重盛は責めることも咎めることもなく、故郷の下市村へ戻してくれ、そこで鮨商売を始めた。
鮨屋で殺生をする報いで、権太が道を外れてしまった。
と、本人が維盛に語ります。
ただ、鮨屋での殺生が因果というのはやや強引な気もします。
もともとの文楽では弥左衛門が奉納金三千両のうち千両を横領したが、重盛が見逃してくれた、という設定だったようです。
これが初演後に書き換えられ、三千両盗まれた船頭ということになったようです。
諸事情によって書き換えられたとはいえ、弥左衛門が盗みを働いていたとしたら、めぐる因果というのは納得がいきます。
そのめぐる因果を目の当たりにして、維盛は「(輪廻を)離れるときは今此時」と出家を決意します。
この”めぐる因果”は「義経千本桜」の背骨であると思います。
戦国の世、勝者の陰には敗者があり、数えきれない命が無駄に散っています。
戦場の外でも、小金吾や権太のように、時代が違えば散らさなくて済んだであろう命もあります。
そしてその勝者もやがて敗者になり、命を散らす。
平氏然り、源氏然り。
めぐる因果の先にあるもの、それはおそらく諸行無常の響きなのでしょう。
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