KNPC86 河庄(かわしょう)

かぶきねこづくし

描かれている人物

上:紙屋治兵衛(かみやじへえ)
下:小春(こはる)

絵の解説

〽魂抜けてとぼとぼうかうか

頬かむりをして、トボトボと花道を歩いて河庄の入り口まで来た治兵衛。
片方の草履が脱げて、舞台が静寂に包まれます。
溢れる涙をこらえるような緊張感がたまらない瞬間です。
上方のふっくらした色気と憂いが漂う治兵衛です。

紙屋治兵衛(原画)

この後の治兵衛は色香に迷ったダメな中年男っぷりを発揮するので、ここまでがある意味ピークかもしれません。

茶屋の河庄で、今日の客(孫右衛門)が来た知らせを受ける小春。

小春(原画)

あらすじ

「心中天網島(しんじゅうてんのあみしま)」近松門左衛門 作 上の巻

主な登場人物と簡単な説明

・紙屋治兵衛(かみやじへえ)
大坂天満の紙屋の主人。妻子ある身ながら、遊女の小春に入れあげている。

・紀の国屋小春(きのくにやこはる)
曽根崎新地の遊女。治兵衛と心中の約束を交わしているが、治兵衛の妻・おさんからの手紙を読んで治兵衛と別れることを決心する。

他、孫右衛門(治兵衛の兄)、江戸屋太兵衛などがいます。

あらすじ

北新地の茶屋・河庄の座敷。
遊女小春は、治兵衛と心中の約束を交わす深い仲です。

小春のもとへ、治兵衛の女房おさんから手紙が届きます。
紙屋が立ち行かなくなっていることを訴え、どうか別れてほしい、心中させないでほしい、と頼む手紙でした。
おさんの気持ちを汲んだ小春は、治兵衛と別れる決心をし、丁稚に返事を預けるのでした。

初めて来た侍姿の客に、治兵衛と死にたくないと話す小春。
その話を立ち聞きした治兵衛は、逆上して小春を刺そうとしますが、逆に侍に捕えられます。

その侍は、治兵衛の兄の孫右衛門でした。
孫右衛門に説教され、小春の態度に怒った治兵衛は、小春と縁を切ります。
互いに起請(きしょう)を返すうち、孫右衛門は小春の紙入れの中に、おさんの手紙を見つけます。
小春の真意を悟った孫右衛門は何も言わず、未練たらたらの治兵衛と帰って行きます。
後に残された小春は泣き伏すのでした。

*起請(きしょう)
遊女と客が取り交わす誓紙。
熊野三山(くまのさんざん)が発行する牛王宝印の裏面に誓約文を書き、誓約の相手に渡す。

私のツボ

ダメを愛でる

上方和事の二枚目といえば、「廓文章」の伊左衛門、「封印切」の忠兵衛、そしてこの治兵衛がTOP3ではないでしょうか。
ふわっとした柔らかい色気と飄々とした軽さがあり、粋な江戸の男伊達とは逆方向の二枚目です。

甘えん坊で、子供っぽく、隙だらけ。
孫右衛門と言い合うところは漫才のようでもあり、二枚目と三枚目のギリギリのところに位置していると思います。
私見ですが、これは上方ならではの計算で、何事も背後に”おかしみ”や”滑稽さ”を漂わせる上方の写実なのではと思っています。
江戸の”うがち”とはまた異なる、人情の機微の捉え方なのだと思います。

花道の出は、恋に全身全霊を捧げることができてしまう男の色気に溢れています。
その和事の色気と哀愁をたたえた様を描きました。

その後の治兵衛と小春

「河庄」の続きは「時雨の炬燵」。
近松門左衛門の原作は、近松半二によって改作され「心中紙屋治兵衛(しんじゅうかみやじへえ)」となります。
それを増補改定した「天網島時雨炬燵(てんのあみしま しぐれのこたつ)」と合わせたものが歌舞伎ではよく上演されています。
「時雨の炬燵」では女房おさんが中心に描かれます。

「時雨の炬燵」あらすじ
小春が身請けされるという噂を聞いて、悔し涙にくれる治兵衛。
おさんは、小春が自分の頼みを聞いて身を引いた上、死ぬ覚悟だと悟ります。
それでは義理が立たないと、おさんは治兵衛に小春の身請けをすすめます。
それを見たおさんの父は、おさんを実家に連れて帰ります。

ここからは歌舞伎だけの展開です。
小春が治兵衛に会いに来ます。
そこへ、小春を追って太兵衛(治兵衛の恋敵)が現れ、治兵衛は太兵衛を斬ってしまいます。

追い詰められた二人は死出の旅を急ぐのでした。
橋づくしの「道行」で、最後に網島に辿り着いて果てるのでした。
(孫右衛門が二人を助け、命拾いをする演出もあります。)
ー完ー

小春とおさん、遊女と人妻と、立場は違いますがそれぞれ情に厚く、優しいです。
それにひきかえ治兵衛と来たら、と治兵衛のダメっぷりが際立ちます。
そもそも近松作品はダメな男が多いです。

私は「時雨の炬燵」は舞台で観たことがありません。
おさんが言う”女の義理立て”と言うのがいまひとつ理解できず、舞台で見たら分かるかもしれないと、上演を心待ちにしております。
が、昨今、このような上方の優男の甘い恋は受けないのかもしれません。
なんだこのダメ男は、で一蹴されてしまいそうです。
私も最初の頃は何だこいつとイライラしましたが、やがて上方和事の空気に慣れました。
ダメと分かっていながらもダメを全うしてしまう人間が歌舞伎には多く、観る側はその弱さや脆さを愛でるのだろうと思っています。

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