描かれている人物
上赤枠左:おえん
上中央:仲居
上赤枠右:槌屋治右衛門
下左端:阿波の大尽
下赤枠:(左から)梅川、忠兵衛
絵の解説
店に来れなかったことを梅川に詫びる忠兵衛

原画
左:店先にて、忠兵衛を出迎えるおえん
右:店先の槌屋治右衛門

原画
はしゃぐ阿波の大尽

原画
阿波の大尽を温かく見守る仲居
こちらは「廓文章」の阿波の大尽。
あらすじ
主な登場人物と簡単な説明
・亀屋忠兵衛(かめやちゅうべえ)
大阪の飛脚屋・亀屋の養子。梅川と恋仲。
・梅川(うめかわ)
新町槌屋の抱え遊女。一途に忠兵衛を愛している。
・槌屋治右衛門(つちやじえもん)
梅川の抱え主。梅川を娘のように思っている。
・おえん
井筒屋の女将。
梅川と忠兵衛を温かく見守り、恋が実るよう尽力する。
・阿波の大尽(あわのだいじん)
太客。
その他、丹波屋八右衛門などがいます。
あらすじ
大坂新町の井筒屋の遊女・梅川は、
恋人の忠兵衛が身請けの前金五十両を払ったものの、
残金の支払い期限が過ぎてしまい、
おまけに廓中の嫌われ者・丹波屋八右衛門が身請けを言い出したのでふさぎ込んでいた。
梅川が寄越した文を見て気が気でない忠兵衛は、
公金三百両を預かったまま井筒屋にやって来る。
井筒屋の女将おえんの計らいで、
忠兵衛と梅川は久々に再会する。
そこへ丹波屋八右衛門がやってきて、
身請けの金二百五十両を治右衛門の前に投げ出し、あぐらをかいて座り込む。
梅川の抱え主・槌屋治右衛門はその横柄な態度に立腹。
金を突き返し、忠兵衛の身請け話を進めることを決める。
怒った八右衛門は腹いせに忠兵衛を罵る。
二階でその悪口を聞いていた忠兵衛は、もともと短気な性格。
腹を立ててその場に飛び出し、八右衛門と言い争ううち、
ふとした弾みで忠兵衛は蔵屋敷から預かった為替の金の封印を切ってしまう。
公金に手をつければ斬首という掟。
忠兵衛は借りていた五十両を八右衛門に返し、残金で梅川を身請けする。
八右衛門は帰り際、忠兵衛が破った金の包紙を拾う。
それが預かり金の封なのを知って役所へ訴えに走り去る。
廓を出る許可証をとりに皆が出かけた後、
梅川に真実を打ち明けた忠兵衛は「一緒に死んでくれ」と頼む。
二人の門出を祝う廓を後に、
二人は忠兵衛の生まれ故郷大和国新口村へと落ちていくのだった。
私のツボ
事件前のいつもの景色
公金の封を切ってしまう前の、いつも通りの平和なひととき。
忠兵衛を出迎えるおえんや治右衛門も、
忠兵衛の詫びを聞く梅川も、
梅川に詫びを入れる忠兵衛も、
宴会を楽しむ阿波の大尽も、
そのお相手をする仲居も、
何度も繰り返されたであろう日常の風景。
これが最後になるとはつゆ知らず。
嵐の前の静けさといった構図です。
梅川も忠兵衛もお餅のように柔らかくて可愛らしくて、
二人ともこのまま甘い夢を見続けられていたら、と思います。
おえんの真意
歌舞伎に出てくる廓の女将や仲居が大好きです。
「伊勢音頭」の万野、「忠臣蔵」の六段目に出てくる一文字屋お才。
他にもたくさんいますが、酸いも甘いも噛み分けた、
一筋縄ではいかない雰囲気が大好きです。
「封印切」のおえんももちろん大好きです。
幕切に、忠兵衛の背中に「おめでとうさん」とおえんが声をかける場面。
ここでおえんは何を思うのかなと、いつも思いながら観ていました。
茶屋の女将であれば、
当然ながら忠兵衛の身請けの金の出どころも、
忠兵衛と梅川が心中することも察していることでしょう。
長らく、気がついていないふりをするおえんの優しさだと思っていたのですが、
何度も観るうちに、何も考えていないかも、と思うようになりました。
梅川の身請け金が入れば、お店としては問題ありません。
たとえそれが公金であろうとなかろうと、
梅川と忠兵衛の先行きがどうなろうと。
女将として梅川のことは好きですが、
情に流されては色街の女将は務まりません。
それが色街の現実であり、
色街で生きるおえんの生き方であり現実です。
治右衛門が八右衛門の身請けを拒んだのは、八右衛門が嫌いだから。
情と好き嫌いは違う。
そもそも情があれば梅川を忠兵衛に見受けさせないだろうとも思います。
となると、「おめでとうさん」も口先三寸といわないまでも、
あらゆる私情に蓋をしての社交辞令かと思うと、
なんとも色街とは怖いところです。
そして観客は忠兵衛の絶望の深さと共に、色街の虚と現実を目の当たりにさせられます。
恐るべし近松門左衛門。
色々な人のおえんを観てきましたが、さすがは色街の女将。
たやすく真意を悟られるものではありますまい。
いまだにおえんの真意がわからないので、それを探るのも観劇の楽しみです。
阿波の大尽
丸本ものの遊郭でお馴染みの太客。
「廓文章」の冒頭、店先で若い衆が餅を付いているところにやってきて
一緒に餅をつき、「夕霧に会いたいと」金をばら撒くのも阿波の大尽。
その後、夕霧が阿波の大尽のお相手をしているので伊左衛門がヘソを曲げてしまいます。
金払いの良い太客なのでお店からは丁重に扱われていますが、
いまいち遊女からは人気がなさそうな阿波の大尽。
「封印切」でも似たような扱いで、人は悪くなさそうなのですが、
ポジションとしては”野暮”を担当していると思われます。
大して筋には絡みませんが、阿波の大尽がヒロインにご執心というのも共通点です。
その名の由来は、下記の通り。
江戸時代後期に阿波産の藍玉(藍染めに使われる染料)が爆発的な人気を博し、
阿波藍商人らは豪商となり、阿波大尽と呼ばれて全国各地の遊郭で大金を落としました。
実際に、吉原大門を三日間締め切って豪遊した強者もおり、
江戸で”阿波大尽”と呼ばれました。
「廓文章」「封印切」に登場する阿波の大尽は、実際に藍玉商人かどうかはさておき、
太客の代名詞としてその役名が付いたようです。
大坂は商人の町ですし、地理的に阿波とも近いので、
その名は江戸同様に轟いていたことでしょう。
「封印切」では座敷で楽しく酒を飲んでおり、どう見ても三枚目で、
それを後ろで微笑みながら見守る仲居たちのプロフェッショナルぶり。
廓が舞台の演目ではよくある光景ですが、このふわふわと浮ついた、
甘い嘘と建前で固められた宴の空気がたまらなく好きです。
彼らもまた、井筒屋のいつもの風景ということで、隙間に捩じ込みました。
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